(英語) 私の父は日本人コミュニティと全く付き合いがありませんでした。全くです。多くの日本人はジャパンタウンなど、お互い近くに住んでいましたが、私達は(オレゴン州ポートランドの)ノースウェストの、しかもかなり離れたところに住んでいました。父が58番街とバーンサイドに家を買ったので。 もちろん私は(住んでいた地域の)学校に通いました。私はマウントテーバー小学校に入学した最初のアジア人です。初めてのアジア人ですよ。これは私にとって非常にプラスになりました。周りにアジア人がいないので、自分がアジア人だという意識をもたなくなるからです。ですから私は、自分が周りの人と同じように白人だと思っていました。私の友達は皆私を平等に扱ってくれましたし、偏見のようなものは全くありませんでした。
こんなエピソードがあります。私は小学校1年生まで全く英語を話せませんでした。父が学校はいつから始まるのか知らずにいた時、すでに学校は始まっていました。父が私を学校に連れて行き校長先生を訪ねると、校長先生に「本来なら3ヶ月前に来ていなくてはならないのですが」と言われました。こうして私は小学1年生から英語を習い始めたのです
日付: 2005年12月8日
場所: 米国、オレゴン州
Interviewer: アケミ・キクムラ・ヤノ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター