ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/950/

「Jタウン・ジャズ・アンサンブル」(英語)

(英語) 私はますます音楽にのめり込んでいきました。さて、いつのことだったかよく覚えていませんが、たぶん13年くらい前のことです。1989年頃、いえ、1985年から89年の間に、私は日系三世のベース奏者、マーク・イズに出会い、彼の熟練度やテクニック、そして音楽への情熱に感銘を受けました。当時彼はプロのミュージシャンを目指していました。

実際彼はプロのミュージシャンとして、演奏を生業にしていたのですが、仕事の依頼が多くあった訳ではありませんでした。私たちは、演奏ができる日系三世のミュージシャンの存在をたくさん耳にしていたので、「ビッグバンドなんかをやれたら楽しいだろうね。」と、私が彼に話を持ちかけたのです。もし三世の彼らがバンドでの演奏経験がなければ、スウィング音楽を彼らに紹介する意味でも、みんなでグループを作れば楽しいだろう、と話していました。実際、三世のミュージシャンはバンド演奏の経験がありませんでした。そんな話をしていたのは13年前ですが、私たちのグループは今でも活発な音楽活動を続けています。音楽的に言ってもなかなか素晴らしいバンドです。そしてバンドの社会性についても…

I*:今お話しになっているのは、Jタウン…

Jタウン・ジャズ・アンサンブルです。なぜバンド名を「Jタウン・ビッグバンド」ではなく「アンサンブル」にしたかというと、その時私たちは、このバンドがビッグバンドと呼べるほどの規模になるかどうか、まだわからなかったからです。結果的にサクソフォーン5名、トランペット4名、トロンボーン4名、打楽器4名の17人編成のバンドになりました。そして現在2名のヴォーカリストがいます。また、楽譜が読めて能力の高い大勢の若いドラマーが出てきたこともあって、私はドラマーとしてはバンドを卒業し、別の形でバンドに参加するようになりました。

私は、バンドの模範的存在となろうと思いました。見習うべき姿勢を示さなければ、私が他のメンバーの役に立つことはないと考えています。役に立たない、というのは言い過ぎですが、そのこと無くしては、若いミュージシャンがバンドで今経験していることは、存在し得ません。そういう意味で、私たちのバンドは社会的役割も備えたバンドになったと言えます。

*「I」はインタビュワー(アリス・イトウ)


コミュニティ コミュニティー組織 ジャズ 音楽 団体

日付: 2002年2月18日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、ジョン・パイ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ジョージ・ヨシダ氏は、1922年ワシントン州シアトルに生まれました。戦前、1936年にヨシダ氏は家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルス東部に移り住みました。戦時中ヨシダ氏は、アリゾナ州ポストン強制収容所に収容されました。ヨシダ氏はビッグバンド・ジャズやスウィング・ジャズを聴いて育ち、強制収容所では「ミュージック・メーカーズ」というダンスバンドを結成し、ドラムを担当していました。収容者たちは、音楽を通して、自分たちが鉄格子に囲まれていることを忘れ、可能な限り日常を保つ努力をしました。1943年、ヨシダ氏は陸軍に徴兵されました。1945年に結婚したヨシダ氏は、カリフォルニア州バークレーに新居を構え、その後35年間ワシントン小学校の教員を務めました。

1987年に引退したヨシダ氏は、日系二世と三世のミュージシャンと共にスウィングバンド、「Jタウン・ジャズ・アンサンブル」を結成します。ヨシダ氏は、現在もドラム奏者として活躍していますが、彼にとって音楽は、戦時中の困難な時代を生きた、日系アメリカ人史を思い起こす手段となりました。またヨシダ氏は、「Reminiscing in Swingtime 1925-1960: Japanese Americans in American Popular Music」という本を執筆しました。 (2008年4月15日)

ジョージ・カツミ・ユザワ

ニューヨーク市の日系人社会との関わり(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

マイク・シノダ

初めての作曲(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マイク・シノダ

日系人収容所に対する家族の見識(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マイク・シノダ

音楽で表現する政治的メッセージ(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マイク・シノダ

アーティストとしての役割(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マサオ・コダニ

太鼓リズムの変化-日本的なもからアフロ・キューバンへ(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

和太鼓へのアメリカの影響(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

緊那羅太鼓の太鼓へのアプローチへ感謝(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

日系アメリカ人の庭師ダンス(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

環境を反映する太鼓音楽(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

伝統的音楽「雅楽」を演奏することによって形成されたアイデンティティ(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

PJ・ヒラバヤシ

自己表現としての太鼓(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

日系アメリカ人の太鼓を日本へ(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ロイ・ヒラバヤシ

バンクーバーに太鼓を紹介(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)