https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/733/
音楽家、芸術家、教育者(1949年生)
(英語) 1980年代のはじめ頃は、日本で、琴や太鼓などのライブ演奏なんてものは、珍しかったんです。しかも、日系人の太鼓を聴く機会なんてほとんどありませんよね。僕は自分の太鼓を持って行きましたし、琴を持って行ったメンバーもいました。日系アメリカ人の僕が、日本に自分で作った太鼓を持って行くことは、僕にとってそれなりの意味がありました。
最初に演奏したのは、クラブだったのですが、ライブの後、数人の日本人が僕のところに来て、「素晴らしい演奏を、どうもありがとう。初めて太鼓や琴をみました」と言うんですね。彼らは太鼓や琴の発生の地の人たちであるにもかかわらずですよ。「えつ、本当ですか?日本には太鼓や琴なんて、どこにでもあるでしょう?」と聞き返しちゃいましたよ。でも彼らは、「そんなことないですよ」と言うんです。日本人の記者たちからは、「バンドに日本の楽器を入れようと思ったのはなぜですか?このような形にした趣旨は?」というような質問を受けたので、自分たちは子供の頃からこういう音楽を聴いて育ったことを説明しました。祖母の家に行けば、太鼓や民謡などの日本の様々な音楽がかかっていましたし、僕たちは小さい頃からずっとそんな音楽を聴いていたんです。アメリカで、日本の楽器を演奏することは必ずしも一般的なことではないかもしれないけど、日本の音楽の良さをアメリカ人たちに教えてあげるのも大切なことだと思ったんです。日本の人たちはそういうことを随分興味深そうに聞いていましたね。これが、「バンドに日本の伝統的な楽器を取り入れようと思ったきっかけは?」という質問への僕の答えでした。
僕らは日本へ行く前に、随分長い時間話し合った事のひとつが、今使っている自分たちの楽器を自信もって日本に持って行けるか、と云うとても重大なことでした。でも、日本からアメリカに帰る頃には、楽器を持って行ったことは、持っていったのは正解だったと思うようになっていました。日本へ行ったことは、いろんな意味でとても意義のあることでしたし、バンドとしてもすごく貴重な経験になりました。
日付: 2004年10月15日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ジョン・ユキオ“ジョニー”・モリ氏はロサンゼルス出身の音楽家、芸術家、教育者兼役員です。
1949年11月30日、日系一世の父と日系二世の母の間に生まれ、若い頃は、活動家、徴兵反対者であり、1970年代のアジア系アメリカ人運動ではかなり問題を起こした人物でした。更に(同時期)、ロサンゼルスのリトル東京でアメラジア・ブックストアを経営していました。この書店は、共同書籍販売を行うだけでなく、コミュニティの集会や、政治活動、パフォーミング・アートを行う場でもありました。そして2003年に引退するまで、ジャズ・フージョンバンドHIROSHIMAのパーカッショニスト(打楽器・和太鼓奏者)として世界各国を周りました。
モリ氏は、全米初の日系アメリカ人太鼓グループの1つである緊那羅(きんなら)太鼓の主要メンバーであり、過去20年間に渡り、太鼓や日系アメリカ人文化を、小学校から大学の生徒までの幅広い層に、ワークショップを通じて教えてきました。現在は、ロサンゼルスの日米文化会館(JACCC)でパフォーミング・アートのプロデューサーを務めています。(2007年6月13日)
バイオリンを購入
一世実業家(1900-2005)
広島県の学校にいた帰米のクラスメート達(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
異なった方言を理解することの難しさ(英語)
三世の太鼓への理解
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる
手作りの太鼓
太鼓哲学
太鼓を通しての日本文化の再発見
サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞
渡米の理由
太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)
アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス
太鼓のスタイルの違い
それぞれの太鼓グループの持つオリジナリティの重要性
アメリカに住むことの利点
太鼓コンテストを通して育まれるグループとしてのアイデンティティ
日本文化の伝統としての太鼓の音