(英語) こんな音楽は他にはありませんでしたし、それに僕らには先生なんてものもいませんでした。皆で集まって、(太鼓の)映画を見たり、レコードを聴いたり、写真なんかを見ていましたね。先生がいないってことは,良い面もあったし、悪い面もありました。グループとしてある程度一人前になるまで、結構時間がかかりましたね。でも僕らの音楽はオリジナルだったし、色んなことをやって、少しずつ自信をつけていきました。 僕らは、太鼓をやっていく中で、徐々に自分たちのスタイルを作っていったんです。音楽そのものだけではなくて、日本から太鼓を買うお金もなかったということで、楽器も自分たちで作りました。その結果として、自分たちだけの何か独得のものを作っているんだという、やりがいを感じてきましたね。
でもそれは、意図的に作り上げていったものではありません。「日系アメリカ人の音楽を作り上げるんだ」とか、「日系アメリカ人の楽器を生み出すんだ」とか、それが僕らの目指ものであり、ゴールなんだ」とか、そんな風に考えていたわけではないんです。意図しないところから発展していったのです。そして結果的に今の形が出来上がった、そういうことですね。
日付: 2004年10月15日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アート・ハンセン、ソージン・キム
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター