ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/235/

バイオリンを購入

Japanにね、Japanで18の時に、大阪で、大阪で24円の月給でね、20円みなだして買うた。そして、ボートへ来て、一人でキーコキーコやった。自分で、停泊して遊んでる時に、みんな遊びに行くやろ。わしが行かんと、キーコキーコやってみた。のこぎりの目立てや(笑)。一人でやってた。そしたら、だんだん弾けるようになってくる。

[バイオリン演奏]


日付: 2004年10月14・17日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 山本 恵理子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

カズオ・フナイ氏はカリフォルニア州ロサンゼルスのセントラル・アヴェニューでマーケット(食料品店)を経営していた和歌山県出身の一世です。インタビュー当時は104歳でした。第2次世界大戦が勃発する直前の1941年、日本への帰国を前提に東京に会社を設立しました。しかし、真珠湾攻撃のため日本へ帰国することができなくなり、経済的にも破綻、最終的には家族とともにアメリカの強制収容所へ入ることを余儀なくされました。しかし、このような困難にもかかわらず、戦後はビジネスマンとして成功しました。

2005年3月3日(木)105歳で亡くなりました。(2005年8月16日)

田中誠一

桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

太鼓哲学

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

本郷悦男

アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

太鼓コンテストを通して育まれるグループとしてのアイデンティティ

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

日本文化の伝統としての太鼓の音

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

田中誠一

アメリカで太鼓を始めた理由(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

緊那羅太鼓との出会い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

太鼓とはっぴ(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

伝統的太鼓スタイル(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

日本の音楽教育(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

アリス・スミダ

『青い目の人形』

アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)

マイク・シノダ

初めての作曲(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マイク・シノダ

日系人収容所に対する家族の見識(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)