(英語)日本の人たちは、米軍による占領や国土の荒廃、日本人を苦しめた喪失について、アメリカ人を責めてはいなかったようです。彼らは、旧日本軍ひいては当時の政府に、非難の矛先を向けていたと思います。軍は解散していたので、非難し易かったのでしょう。日本人が唯一、我々日系人を含むアメリカ人を非難したのは、広島と長崎への原爆投下でした。 当時の日本人は、それ以外のことは追求しなかったと思いますが、彼らは完全に打ちのめされた状態にあり、他のことを考える余裕がなかったのだと思います。しかしながら、日本人は過去をただ嘆いていた訳ではありません。彼らは、今後いかに再建し復興していくか、考えていました。たくさんの人々が再建に当たる様子は感動的でした。 材木や建築資材など、当時の極端な物資不足は言うまでもありませんが、人々は、かき集めてきた資材を繋ぎ合わせ、自分たちの暮らしに必要な物を再び作り上げていきました。食べ物については、野菜を育て、なんとか工面していました。軍人の多くは、特に日系人は、我々に支給される食料を日本人に分けていました。私たちは、Kレーション(アメリカ軍が第二次大戦中に製造、配給した戦闘糧食)の支給を受けていましたが、食べられなかったので日本人にあげていました。たばこも、もちろん日本の喫煙者にあげました。
日付: 2006年5月29日
場所: 米国、ハワイ州
Interviewer: アケミ・キクムラ・ヤノ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター