ディスカバー・ニッケイ

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ペルーへの帰国が不可能ゆえに英語を習得(英語)

(英語) 当時は、ペルー政府が私たちを引き戻してくれるということはありえませんでした。帰ることはできない状況で、私たちはこれから日本へ向かうのかそれともアメリカに留まることになるのか分かりませんでした。もしアメリカに留まるのであれば、英語を学んだ方がいいのだろうということで、ある日系アメリカ人の女性が私たちに英語を教えることを申し出てくれたのです。英語を教えるボランティアの日系アメリカ人が2人いたので、私たちペルー人は年配者と若者の2グループに分かれて英会話を学びました。


日付: 2003年10月26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

アート・シバヤマ氏は1930年6月6日ペルーのカヤオで生まれた日系二世の男性です。ペルーで両親・祖父母によって育てられた彼は、第2次大戦中にアメリカ軍の輸送船でアメリカへ両親ともに連行され、テキサス州クリスタルシティの収容所へ収容されました。その後ニュージャージー州シーブロックの生産会社で働くために家族で移住しました。不法移民とみなされていたにもかかわらず、1950年代にはアメリカ陸軍に徴兵され、ドイツに駐屯しました。除隊後は、イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンノゼにて家庭を築きました。近年は、カリフォルニア州ツールレイク収容所の巡礼や日系ペルー人の同窓会に参加したり、日系ラテンアメリカ人の戦後補償を求めるキャンペーンにも携わっています。シバヤマ氏は、2018年7月31日、88歳で亡くなりました。(2018年7月)

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。

ジェームス・ヒラバヤシ

親子の触れ合い (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

山野愛子ジェーン

日本語能力の欠如(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

文化的適応(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

外国人慣れしてきた日本人(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

ロイ・H・マツモト

異なった方言を理解することの難しさ(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロジャー・シモムラ

友達と遊んだ人種差別ゲーム(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ミツオ・イトウ

日本語学校 (英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

ポール・テラサキ

戦後シカゴでの体験(英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

ビル・ハシズメ

戦後カナダにいる兄へ手紙を送付(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

ビル・ハシズメ

アメリカ人と日本人の連絡役(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

ロイ・ヒラバヤシ

学校と家で学んだ日本語(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

フランク・ソギ

日本語学校に通ったこと(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)