インタビュー
映画をめぐる論争(英語)
(英語) (この映画は)議論を呼びましたね。フランク・チン(がその中心)でした。あの頃の政治的背景を思い返してみると(わかると思いますが)、ちょうどその時期から私たち(アジア人)は立ち上がり「我々はもう黙っていない」と声を上げるようになりました。これは主に(アジア系の)青年のため(の活動)だったんです。あの頃(アジア系の)若い男性はものすごく苦労をしていて、本当に大変な思いをしていましたからね。だから彼らも男らしいところを見せたかったでしょうし、もうこれ以上はおとなしくしていられないという感じになったのでしょう。
そこでフランク・チンが何を問題にしていたかということですが、私が思うには、基本的に自分があの映画を監督したかったんだと思います。というのも、彼はこの映画の主張が生易しすぎると思っていて・・・つまり彼は「何故殴らなかったんだ・・・あの映画館の外のシーンで日本人を殴るように何故しなかったんだ!」と言いたかったんでしょう。でも私は「ねえ、沢山の日本人が殴られるのがそんなに良いっていうの?」と言いましたね。こういった(暴力)シーンが映像化されると、そのシーンは(人の頭のなかで)何度も繰り返されるようになるんです。テレビでもそうですが、(暴力的なシーンは往々にして記憶の中で)繰り返されるでしょ?でもそれに何の意味があるというんでしょう?(フランク・チンの批判は)本当にひどかったですよ。「こんなの軟弱過ぎるね」僕にとっては、と言ってね。まあ彼にしてみればそうだったのかもしれません。彼の作品はすごく・・・彼はとても優れた作家ですからね。でも残念ながらこの人は、他の人の書き方や表現方法を認めることが出来ないんですね。
しかもすごく卑怯なことをしたんです。彼はこの映画のエキストラだったのですが、ニューヨーク・タイムズに手紙を書いて、この映画は人種差別をしているから自分の名前を載せないで欲しい、この映画とは一切関係をもちたくないと主張したんです。この手紙は新聞記事になりました。ニューヨーク・タイムズはフランク・チンを作家としてみていたので、彼が脚本を手がけたのだと思っていましたからね。これには傷つきました。それにジョン(監督)をすごく傷つけました。感情的な面だけでなく(色々な面で)ね。彼自身は出来る限り細く心配りをしたと思っていましたから。それに(この批判は)政治的なものだったんです。当時私たちのコンサルタントだったエジソン・ウノという素晴らしい人がこんな事を言っていました「いいですか、彼らは政治に利用できるものだったら何でも使いますから・・・」とね。
今の私の気持ちとしては・・・やはり悲しいですね。本には強いアジア人の男性が出てくるからと、(フランク・チンは)本は気に入ってくれたんです。ですから本が批評されることはありませんでした。でも映画に対しては・・・あれは何だったでしょうね。彼は映画にも参加していたのに・・・監督の事が好きじゃなかった、そういうことなんでしょうかね?
日付: 2005年12月27日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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