ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1031/

映画『Japanese War Bride』に出演

ちょうど私が50年からお茶を教えましたころ、お家元様、15代、鵬雲斎がいらしたときに、20センチュリーのハリウッドであの『Japanese War Bride』という映画を作りまして、そのときにお茶のお手前をご紹介することがでました。まあ、初めて日本の文化をスクリーンででるということは大変な光栄でありますけど、私がちょうど教えておりました方がなかなかできないもんですから、20世紀のKing Vidor監督様が「How about Matsumoto-Sensei doing? (松本先生にお願いしたらどうでしょうか。)」って。 I was so happy.(うれしかったです。) それでね、女中さんでなくて、お茶のAssociateさん(?)だからいいことでしょうと言われて、私引き受けまして。それで、あの今から55年前ですね、Japanese War Bride20センチュリーで撮影してできました。大変光栄で、初めてハリウッドの土地に、日本の伝統文化のお茶が紹介いたしましたのが、始めてでございまして大変光栄でございました。そのときの相手の方はシャーリ・ヤマグチそれから俳優さんの名前忘れましたけど。大変楽しい場面でございました。


映画 (movies) 茶道

日付: 2005年12月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ナンシー・アラキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

松本宗静氏は、1916年2月21日ハワイ州ホノルルに生まれました。松本氏は日本とロサンゼルスの両方で育ち、10代のほとんどをロサンゼルスで過ごしました。茶の道に入った松本氏は、茶道の流派の1つである裏千家家元の下で学ぶため、京都へ移り住みました。戦争終結後、アメリカ国内に茶道を広めるため、帰米します。しかしながら、戦後当時の日系社会は、第二次大戦中の苦難や強制収容といった傷跡に向き合わなければならず、茶道に人々の関心を向けることは容易ではありませんでした。その後、松本氏の茶道への理解や献身的な努力によって、人々は茶道に興味を持ち始めたのです。松本宗静氏は、アメリカにおける茶道の権威として知られ、各地でお手前を披露し、映画やテレビにも出演してきました。松本氏はこれまで3000人以上の人々に茶道を教え、うち300人の弟子達は師となり、茶道を継承し続けています。

松本宗静氏はまた、数々の栄誉ある称号を受けています。茶道における最高位の称号である名誉師範号を、茶道流派の裏千家より授与され、1990年11月には松本氏の長年に渡る日本文化継承への功労に対して、勲五等の瑞宝双光章が日本天皇より授与されました。また、1994年には米国立芸術基金の選定するNational Heritage Fellowship(日本の人間国宝に相当)に選ばれました。この名誉は、伝統文化を継承・構築し、人々と分かち合う努力を続けてきた、アメリカ国内の最も優れた芸術家に与えられています。

松本氏は2019年2月、103歳でお亡くなりになりました。(2019年3月)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

映画撮影に携わって(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

映画制作で行った小細工(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

予期せぬ好レビューとエミー賞ノミネーション(英語)

作家(1934年生)

タカヨ・フィッシャー

『パイレーツ・オブ・カリビアン』の撮影現場でキース・リチャーズと会ったこと(英語)

日系アメリカ人二世、舞台、映画、テレビ女優 (1932年生)