ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/424/

タシュメでの生活(英語)

(英語) I*: タシュメでは、(周りの人たちと)どういうことをしていたんですか?

タシュメで?そうですね、夜になると、みんな自分の砂糖やお茶、カップと受け皿(笑)、それとお肉まで持って集まっていました。オノさん、カキノさん一家、それにウッドファイバーからはウノさん、アオキさん、それからフクモトさん一家も一緒に集まっていましたね。フクモトさんの奥さんは料理を教えてくれて、私の料理のほとんどは彼女のレシピなんですよ。私の兄は、フクモトさんとコンタクトを取っていたようですね。兄は、妹はどうしてる?っていつも聞いてたようで、フクモトさんは、「彼女はとっても元気よ」と言ってくれてました(笑)。

I: 娯楽は何がありましたか?

ツユキさん達と日本映画を見たり、TYO(Tashme Youth Organization)という「タシュメ若者の会」というようなものを立ち上げて、ボブはそれの会長か何かをしていました。その会でコンサートを開いたり、ボブ・イトウさんという人が居て、とても楽しい催しものもありました(笑)。カワダさん、という若い女の子たちも居て、シマダさんという人と結婚していたのですが、確かハワイアンのダンサーをしていたらしいですね。タシュメにいる中では比較的若い男の人達は、誰が作っていたのかは覚えていませんが、演劇もしてましたよ。それから野球もやってましたね。

*“I”はインタビューワー(ピーター・ワカヤマ)


ブリティッシュコロンビア州 カナダ カナダの強制収容所 投獄 監禁 タシミ強制収容所 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2005年2月14日

場所: カナダ、トロント

インタビュアー: ピーター・ワカヤマ

提供: 世代-日系カナダ人レガシープロジェクト日系文化会館

語り手のプロフィール

シズコ・カドグチさんは二世の日系カナダ人女性。1920年9月29日にカナダのブリティッシュコロンビア州ポート・ムーディに生まれました。1930年に両親とともに日本へ移住し、日本で教育を受けました。カナダへは1940年に帰国しました。結婚後まもなくして第2次大戦勃発し、ヘースティングス・パーク、カナダの内陸タシュメへと強制移住させられました。タシュメを出た後は、トロントへ戻ります。彼女の夫はトロントの日本領事館で働いており、2人の子供を養子として迎えました。池坊に携わるようになり、その後は日本のフラワーアレンジメント芸術「生け花」を勉強するために日本を何度か訪問しました。また、彼女の夫とともにトロントにおける日系文化会館の設立(1950年代)にも貢献しました。 (2005年2月15日)

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。

Roger Shimomura
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ロジャー・シモムラ

戦中の体験を尋ねたときの父の否定的反応(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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Marion Tsutakawa Kanemoto
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マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

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Marion Tsutakawa Kanemoto
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マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

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Marion Tsutakawa Kanemoto
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マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

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Marion Tsutakawa Kanemoto
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マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

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Marion Tsutakawa Kanemoto
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マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

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Rose Kutsukake
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ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

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Fujima Kansuma
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藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

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Fred Sasaki
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フレッド・ササキ

フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

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Fred Sasaki
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フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

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Ryoichi Kodama
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児玉良一

戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

笠戸丸移民

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Pat Adachi
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パット・アダチ

スロカン日系カナダ人収容所での家族生活(英語)

第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)

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Aiko Yoshinaga Herzig
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アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

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Sue Embrey
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スー・エンブリー

若かりし頃の視点 (英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

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