ディスカバー・ニッケイ

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川井 龍介

(かわい・りゅうすけ)

@ryusukekawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)


この執筆者によるストーリー

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第29回(最終回) 連載を終えて

2022年1月28日 • 川井 龍介

およそ1年間にわたり日米をまたにかけて活動した加藤新一という人物の生涯と業績を追ってきました。1900年に広島市で生まれ、1982年に故郷で亡くなった加藤は、戦争を間に挟みまさに20世紀を力いっぱい生き抜いた行動する人物でした。 繰り返しになりますが、私が加藤に興味を持ったのは、彼が執筆・編集した「米國日系人百年史」を知ったからでした。1961年に出版されたこの本には、アメリカ本土のほぼ全域にわたる日本人・日系人の足跡が記録されています。加藤はこの情報を得るため、車で全米…

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第28回 終わりなき世界平和の旅

2022年1月14日 • 川井 龍介

国連事務総長に手紙を書く 「世界連邦」と「地球市民」を訴え世界各地を回る加藤新一は1975年7月、サンフランシスコで開かれた第一回地球市民世界大会へ出席した。その翌年の1月、加藤は当時のワルトハイム国連事務総長にあてて書状をおくった。このあたりも行動家、加藤の真骨頂が表われている。  書状は、1976年1月20日、広島から出されたものだ。 「PLEASE ASSIST NOT TO WASTE THE PEOPLE'S TAX MONEY-FOR-WORLD PEAC…

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第27回 日本から世界へ

2021年12月24日 • 川井 龍介

よく 牛にひかれて善光寺詣り というが、私はこのたび善光寺詣りならぬ世界秘境「ネパール」詣りができた。それも「牛」ならぬ「地球市民」のお蔭であった。 カナダのオッタワ、北欧のブラッセル、そのほか世界連邦世界大会など、お祭りさわぎに終わりがちな大会には興味を持たなかった私が、去る一月中旬から一週間、インドの首都ニューデリーで開いた第十六回世界大会にでかけたのは、実はアーメド印度大統領やガンジー首相が地球市民登録に署名したし、来る七月末にサンフランシスコで開く第一回地球市…

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第26回 地球市民となる

2021年12月10日 • 川井 龍介

1900年生まれの加藤に直接会っている人は、日本で私が取材した範囲では加藤の甥にあたる吉田さんと加藤の実家近くに住む二人だけで、アメリカではロサンゼルスの広島県人会にひとりいるだけだった。 加藤が晩年精力的に関わった平和運動の関係者で加藤を知る者はいないものかとおもっていたところ、広島市役所で偶然手掛かりがつかめた。原爆で亡くなった加藤の妹や弟のことを調べようと広島市健康福祉局原爆被害対策部援護課を訪ねたとき、「原爆被害者対策事業概要」(2019年版)というものを入手した…

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第25回 世界連邦建設への訴え

2021年11月26日 • 川井 龍介

行動するジャーナリストである加藤新一は、書き残したものはすくない。少しでも本人の書き残したものがないか、故郷広島の「広島平和記念資料館」の「平和データベース」で「加藤新一」で調べてみた。すると本と雑誌のなかからいくつか加藤の書いたものがでてきた。 その一つに「平和競存の創造」という出版物がある。「著者 加藤新一著編」、「出版者 地球友の会」、「出版年 1971年12月20日」、「頁数47」となっている。それ以上はわからないので、同資料館内の情報資料室を訪ね、実物を見せ…

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第24回 「広島北米クラブ」に尽力

2021年11月12日 • 川井 龍介

最期は日本で迎えたい  二度目のアメリカ滞在で、新日米新聞社の主幹として1961年に「米國日系人百年史」をまとめた加藤新一は、まもなく新日米新聞社を離れ、1970年日本に帰国する。ふりかえれば、1900年に広島で生まれ、18歳で父親に呼ぼ寄せられカリフォルニアに渡った加藤は、日米開戦直後に帰国、1953年に再渡米、そして1970年再び日本にもどってきた。日米二往復の人生である。 ひとり息子はロサンゼルスの東京銀行で働き、孫もアメリカ生まれのアメリカ人である。一方日本には…

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第23回 再びアメリカへ

2021年10月22日 • 川井 龍介

1952年11月に広島で開かれた世界連邦アジア会議の事務局長を務め、日本国連協会広島県本部事務局長の職にあった加藤新一は、日本での平和運動の職を捨て、1953年4月再びアメリカに渡った。 1961年の時点での本人による1953年からの経歴は、次のようになっている。 1953年産経新聞特派員として再渡米、のち新日米新聞社に入社、次々に家族を呼寄せ、1958年米国永住権を獲得、現在(※注1961年)同社主幹。同社の1955年度版及び1959年度版全米日系人住所録を編集、19…

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第22回 広島で平和運動に取り組むが…

2021年10月8日 • 川井 龍介

知事に請われて県広報委員長にも 日米開戦後アメリカから日米交換船で郷里の広島に引き揚げてきた加藤新一は、中国新聞の記者となり、一時は編集局次長の職についた。その後同社に誕生した従業員組合の委員長(組合長)となるなど多方面で活躍したが、1949年、7年間つとめた同社を退社する。新聞社時代の先輩、村上哲夫氏によれば、当時の楠瀬常猪・広島県知事に請われて、初代の広島県広報委員会委員長に就任、1951年に知事が楠瀬から大原博夫に代わってからも一年余り広報委員長を務めたという。 …

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第21回 力量を発揮するも退社へ

2021年9月24日 • 川井 龍介

広島に原爆が投下されてからほぼ8ヵ月後の1946年4月、米軍が撮影した広島市内の映像のなかに加藤新一が登場することに前回触れたが、撮影について当時の中国新聞が報じていた。 同年4月16日付の紙面で「復興の象徴」、「本社が天然色映画で全米にお目見得」という見出しで、加藤と思われる人物がデスクを前に座っている姿が見られる写真がついている。説明には「写真は本社編輯局内の一場面」とある。 記事をそのまま引用すると—— 「戦災地の日本を映画化すた…

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第20回 アメリカ撮影の映像の中に

2021年9月10日 • 川井 龍介

原爆投下からひと月ほどして加藤新一は、広島を訪れた赤十字駐日首席代表のマルセル・ジュノー博士の通訳兼案内を担った。そして11月1日付で政治部長に就任、翌46年2月には、社長交代にともなう中国新聞社の社内体制の刷新によって、編集局次長になった。 このころの加藤はどのような活動をしていたのか、加藤の甥にあたる吉田順治さんに尋ねてみると、当時の姿はインターネット上の映像でみることができるという。 それは、Youtube にあげられた17分余のカラー映像で、音声はなかった。映像…

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