三重県の英虞湾から海岸線に沿って紀伊半島の方に進むと、本州最南端の串本町に行きつく。この地からかつて男たちが、オーストラリアの木曜島付近で真珠貝(白蝶貝)を採取していた話を前々回書いたが、その先の海岸沿いにも古く海外とかかわった人たちの痕跡の残る町がある。紀伊半島最西端に位置する日の岬(日ノ御埼)を抱える美浜町という町だ。
串本町から今度は紀伊半島の西側の海岸線をひたすら北上していく。国道42号をずっと走ることになるのだが、海岸沿いに行くには、途中御坊市で県道御坊-由良線に入る。ここからが美浜町で、日の岬に向かって行くと、道沿いに「アメリカ村」と表示されたバス停がある。
観光地にあるような名称だが、実はそう呼ばれるに相応しい古い歴史に基いている。バス停のある三尾(旧三尾村)という地区では、明治時代から人々がこぞってカナダに移住、その後帰国した人たちも多くいたことからアメリカ村と呼ばれるようになった。
32年前の取材から
32年前、私はこの地を取材で訪れたことがあった。日本の海沿いの地のちょっとした出来事をルポする連載のひとつとして、三尾地区の歴史と今を追った。明治時代からカナダにわたった人たちの中では、成功して故郷に帰り、西洋風の家を建て暮らした人もいて、そうした家が地区に残るなど、当時の繁栄の名残が感じられる一方で、他の日本の過疎地同様、人口は減り空き家は増え、地元…