Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第30回 3ヵ国語で落語を〜日系・女性落語家 らむ音

元気はつらつ 英語で落語をきかせるという試みは、数は多くないとはいえ、日本人や外国人によって定着した感があるが、日本語、英語、ポルトガルで落語ができるという噺家、それも女性の噺家は、らむ音(ラムネ)さん(29)だけではないだろうか。 日系ブラジル人・落語家として、最近メディアでもよくとり上げられるようになったらむ音さんは、父親が日系ブラジルの2世で、母親が3世という。 日本名、茂木綾音、ブラジル名はBruna(ブルーナ)というらむ音さんは、師匠のらぶ平の門下に入って6年目、今は横浜を拠点に活動、昨秋前座から「二ツ目」に昇進した。らぶ平の師匠は、昭和の落語界のみならずお笑い演芸の世界で「爆笑王」といわれた初代の林家三平。もじゃもじゃ頭に型破りなパフォーマンスで「どうも、すいませーん」などのギャグで知られた伝説のお笑い芸人だ。 この流れを汲んでいるだけあってか、らむ音さんも、時に高座でサンバのリズムで跳ね上がるなど、そのパフォーマンスは元気はつらつ型破り。屈託のない笑顔と歯切れのいいしゃべりで、観客の視線を引き寄せる。「日系ブラジル」ならではの個性、ともとられることがあるようだが、同じ理由で、実は小さいころから苦労していた。 自分はバカなのか  父方の祖父が群馬県出身で、1950年代にブラジルのアマゾン熱帯雨林地帯の都市マナウスに移住した。また、父方の祖母は青森県出身…

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第29回 日本国籍というアイデンティティ

フィリピン残留日系人は訴える 「日系」の定義とは何か。辞書(大辞林)によれば「日本人の血統をひいていること。またそのひと」という。「日系人」の定義も同様に、日本人の血統(血筋、血のつながり)をひいている人、と考えていいだろう。 これに従えば、日本人もまた日系人ということになるが、一般的にはそうはいわない。ほかの血統をひいていないからだ。一般に日系人というとき、日本人以外の血統もひいている人のことをいう。ただし、南米・北米にいわゆる移民として渡った日本人夫婦の間に生まれた2世、さらにこうした2世同士の間に生まれた3世は、日本人以外の血統をひいていなくても日系(人)と言われる。 彼らは、日系アメリカ人とか日系ブラジル人などと言われるが、この場合の「アメリカ人」「ブラジル人」は国籍を指すと思われる。こうしてみると、同じ「○○人」という場合でも、血統を示す場合と、国籍を意味するときがあるのがわかる。 前回のこのコラムで最後に触れたフィリピンに残された日本人の血統をひく人たちは、日系ともいえるが、国籍の面からすれば日本人ともいえる。彼らは、日本人の父親とフィリピンの女性との間に生まれた日系であり、当時の日本の国籍法上、父親の国籍で子どもの国籍が決定していたので、父親が日本人であれば日本人となってしかるべきだった。 しかし、アジア太平洋戦争の戦場のひとつとなったフィリピンにいて、戦…

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第28回 残留日本人と日系人

  戦争の痕跡はいまも 昨年1月『残留兵士の群像 彼らの生きた戦後と祖国のまなざし』(林英一著、新曜社)という本が出版された。これまでに『残留日本兵の真実』(作品社)などの著作がある林氏は、インドネシア残留日本兵の社会史研究で高い評価を得ている学者である。 ここでいう残留兵士とは、アジア・太平洋戦争が終ったのちも何らかの理由で、日本に帰らず海外の戦地に一時、あるいは永久に残った日本兵のことをいう。1984年生まれの著者は、戦後残留兵士を扱ったドキュメンタリーや映画などの映像作品を主な分析対象として、そこに描かれている元兵士がどう戦後を生きたか、また、日本社会や現地社会が彼らをどう見ていたか、そして彼らは祖国の変化をどう受け入れたのかを分析している。 残留兵士といって思い出すのは、終戦を知らずずっとグァム島で潜んでいたところを発見された横井庄一氏(1972年)や、同じくフィリピン・ルバング島に潜んでいたのが明らかになった小野田寛郎氏(1974年)の例だが、本書を通して、ほかにも戦後ゲリラ運動に加わったり収容所から逃れたり、さまざまな理由で現地にとどまったり(あるいはその後日本に帰った)人たちがいることを恥ずかしながら今になって知った。と同時に、戦争の痕跡を今も引きずってきた同胞のことを、日本人がもっと知るべきではないかと考えさせられた。 残された日系2世 …

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第27回 『花嫁のアメリカ』著者、江成常夫氏にきく

戦後日本の隠れた歴史として 戦後の日本が忘れてきたものをとらえてきた写真家・江成常夫氏は、アメリカ人兵士と結婚してアメリカにわたった女性たちのありのままの姿をポートレートとインタビューでまとめた『花嫁のアメリカ』を1981年に出版、それまでメディアが見落としてきた時代と人々を世に知らせ話題を呼んだ。 戦争という日本の負の遺産を何らかの形で背負った人々の戦後に向かい合ってきた江成氏は、この後、戦後中国に残された日本人孤児についても、“アメリカの花嫁”の取材と同様に中国に足を運びインタビューと写真により彼らの戦後と実情をとらえ、作品を通してその声を代弁してきた。 そして最初の花嫁取材から20年後、彼女たちを再び取材し『花嫁のアメリカ 歳月の風景1978-1998』をまとめ、時代の流れと世代の移り変わりのなかで、日本や日本人とはなにか、日系とはなにかを浮かび上がらせたが、昨年、『花嫁のアメリカ』と『花嫁のアメリカ 歳月の風景1978-1998』の2作をあわせた新たな編集による『花嫁のアメリカ[完全版]』が論創社(東京千代田区)から出版された。 “花嫁”に関する2作品とその世界については、第22回で紹介したが、改めてその作品が生まれる背景などについて、神奈川県相模原市の自宅に江成氏を訪ね、話をきいた。 * * * * *   …

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第26回 カメラを手にアメリカで生きるフォトジャーナリスト、諏訪徹の回想

堀江謙一や小田実に感化され 海洋冒険家の堀江謙一さん(84)が、このほど米クルージング・クラブ・オブ・アメリカ(CCA)から海洋冒険の功績を讃えられ、最高栄誉賞である「ブルーウォーターメダル」を受賞した。堀江さんは、昨年ヨットの単独無寄港での太平洋横断に世界最高齢で成功したほかこれまで多くの海洋冒険に挑戦してきた。 なにより堀江さんが世の中の注目を集めたのは、1962年に兵庫県の西宮港からサンフランシスコまでひとりで航海するという偉業を達成したからだった。その航海を著した『太平洋独りぼっち』は話題を呼び、当時の日本の若者の冒険心をかきたてた。そんな多くの若者のひとりに、のちにアメリカでフォトジャーナリストとして活躍する諏訪徹(すわ・あきら=Akira Suwa)さんがいた。 アメリカで暮らす諏訪さんが、昨年フォトジャーナリストとしての半生を振り返った『生きた見た撮った、アメリカを世界を — アキラ・スワ回想録』を出版した。半生の記録は英語でまとめられていたが、日本での小学校時代の同級生である新田聡子さんが日本語に訳した。 私は、拙著『大和コロニー フロリダに「日本」を残した男たち』(旬報社、2015年)を、まとめる過程で諏訪さんのことを知った。この「男たち」の中心人物で、日本からの移民である森上助次(ジョージ・モリカミ)について、1970年代に貴重な写真を…

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