https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/887/
太鼓・尺八奏者(1944生)
(英語) 自分たちで太鼓を作るようになった理由の一つは、高くて買えなかったということがありますが、中学や高校の時にマニュアル・アーツ高校や、フォシェイ中学に行ってコンガを手作りしている人たちを見たこととも関係しているんです。それで、太鼓はコンガ作りとそれほど違わないだろうからやってみようと思ったんです。そのことを、ヤンキーの独創性みたいなもんだ、なんて冗談混じりに言うんですけど、でもアメリカ人には実際そういう側面があるんです。「意志があれば、抜け道はある」という言い方があるように、やりたいことがあれば方法は思いつくものです。
でもワイン樽の太鼓なんて日本では1度も作られたことがないでしょうし、日本の人たちは「太鼓はこういうもの」という先入観から抜け出せないと思うんです。既存の太鼓の定義が固まっているんですね。僕らにも定義づけはありますけど、日本の人たちよりもその点ゆるいですね。僕らは自分たちが何かすることに寛大なんですよ。
それに、たしか初期の尺八の名手たちも自分の楽器は手作りしていたんですよ。でも今はほとんどの人がメーカーに頼っていますよね。日本でも工芸が少し注目されるようになって、竹を買い尺八作りを学ぶ人が出てきていますけど、まだそれほど盛んではありませんしね。でも、アメリカで手作りがブームになれば日本でも人気が出るかもしれませんよね。かつての木版画人気と同じで、海外で人気が出ないと日本では注目されず、海外で評価を得たものに関しては、「斬新だね」と日本人は言いますから。
日付: 2004年12月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
太鼓及び笛奏者として有名なジョージ・アベ氏は、1944年マンザナー強制収容所で生まれました。戦後家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスに再移住したのはアベ氏が1歳の時でした。帰米であるアベ氏の母は、カリフォルニア州オレンジ市で生まれ9歳で日本へ行き、26歳でロサンゼルスに戻りました。アベ氏の父は一世です。
アベ氏はアーティストやミュージシャンのいる環境で育ち、母親と共に琵琶のリサイタルにも参加しました。学校のバンド活動でもクラリネット、サックス、オーボエなど様々な楽器を演奏しました。アベ氏の音楽への興味はその後絶えることなく、尺八や笛といった伝統的な日本の管楽器の演奏を学びました。
アベ氏はロサンゼルスの洗心仏教寺を拠点として活動する緊那羅(きんなら)太鼓の創設メンバーの1人であり、今日に至るまでグループと活動を共にしています。緊那羅太鼓は、北アメリカで結成された最初の太鼓グループの1つであり、田中誠一先生率いるサンフランシスコ太鼓道場の次に設立された2番目のグループです。アベ氏は芸術の影響力と太鼓が人々に与える活力を確かなものとして捉え、彼自身の芸術性を文化、精神そして共同体への意識啓発に役立てています。(2004年12月10日)
緊那羅太鼓とサンフランシスコ太鼓道場の違い(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
三世の太鼓への理解
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる
手作りの太鼓
太鼓を通しての日本文化の再発見
サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞
アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス
太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)
日本文化の伝統としての太鼓の音
それぞれの太鼓グループの持つオリジナリティの重要性
アメリカに住むことの利点
太鼓コンテストを通して育まれるグループとしてのアイデンティティ
太鼓リズムの変化-日本的なもからアフロ・キューバンへ(英語)
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
田中先生と緊那羅太鼓の「太鼓」に対する考え方の違い(英語)
非太鼓グループとの共演(英語)
桜祭りでの太鼓演奏の欠如(英語)
緊那羅太鼓との出会い(英語)