ディスカバー・ニッケイ

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カリフォルニア州サリナスに移民として渡った家族(英語)

(英語)私の祖父は、1890年代に日本から来ました。広島県海田町の小作農家の三男でした。生活はとても苦しく、1890年代に農場労働者の需要が生まれ、仕事の機会ができると、三男だった祖父はハワイに行くことを決意しました。しかしハワイでの暮らしも楽ではなく、結果的に移動を続け、どうやってサリナスに来たのかは分かりませんが、サンフランシスコを経由し、最終的にカリフォルニア州サリナスにたどり着き、小作農を始めました。


移住 (migration)

日付: 2018年3月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1935年6月29日、カリフォルニア州サリナス生まれ。父親は戦前から農業ビジネスを共同経営し、戦時中アリゾナ州ポストンに強制収容されていた間も電話や電報を利用し、ビジネスパートナーに助けられながらビジネスを続けた。ポストンから戻った一家はカリフォルニア州ロス・ガトスに移住し、農業ビジネスを継続した。トムはサンタクララ大学に進学し、米軍に入隊後、軍需品担当将校としてフランスに駐留した。ユキ・ファームのマネージメントパートナーの仕事をトムに継がせるつもりだった父親は亡くなり、その時トムは企業の契約管理者の仕事をしていた。トムは、全米日系人博物館での理事など、これまで多くの団体で役員を務めてきた。(2018年12月)

西村 俊治

借金の取立てにうんざりしブラジル移民を決意

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

渡伯初期の生活

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

エミ・笠松

大戦中の日系パラグアイ人の扱われ方(スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

エミ・笠松

パラグアイの最初の日本人移住地 (スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

エミ・笠松

日系人のパラグアイ農業へ貢献 (スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

松原由美

両親に内緒で渡米

岐阜県出身新一世。 最近アメリカ市民権を取得。

ヘンリー・シミズ

祖母に説得されて帰加した母 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

カナダ政府による日本送還への圧力 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ベナンシオ・シンキ

アメリカ大陸へ (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

児玉良一

世界を見るためにブラジルへ

笠戸丸移民

児玉良一

ブラジルへ来る船の中で

笠戸丸移民

児玉良一

日本人初の運転手

笠戸丸移民

ヘンリー・須藤

日本に移住するまで日本語を話さなかった (英語)

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)