ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1589/

アメリカの寿司の将来を心配

私、お店じゃなくこの寿司っていうものに対してね、どうなるんでしょうかってことは本当に心配です。やっぱり、ずっとずっと日本スタイルをアメリカにも残してもらいたいというのはあります。何人かはいるんですけどね、そういう我々の頃の時代の人はいますけど、もうそれを過ぎたら、どうなるんでしょうかという心配はあります。そういう自分のビジネスだけじゃなく、今後の時代の寿司の流れがね、どういう流れになっていくのかなって時々考えるときもあります。

 


食品 日本食 寿司 アメリカ合衆国

日付: 2016年4月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1949年8月21日、青森県に生まれる。1962年16歳で上京し、夜学へ通いながらすし屋に住み込みをし、板前の修業をする。その後、三長会という調理師組合に入り、数々のすし屋を転々とする。1973年、ロサンゼルスの東京會舘という店と3年契約をして渡米。契約終了後、一時帰国するが、その後も東京會舘から声がかかり、再び3年契約を結んでロサンゼルスへ来る。契約終了後、アメリカへ残ることを決め、1980年にロサンゼルスのリトル東京に「鮨元」を開店。また南加青森県人会の創設にも尽力し、ロサンゼルスにおける日系人コミュニティの発展に貢献しているほか、2007年には初代ねぶた囃子保存会会長を務めるなど、アメリカにおける日本文化継承活動に力を注いでいる。2015年、在ロサンゼルス日本国総領事館より総領事表彰を受賞した。(2018年5月)

小西紀郎

フジモリ元大統領の夜食を配達

ペルーの日本料理レストラン経営者・シェフ (1962年生)

関利彦

日本の文化としてアメリカで寿司を握る

寿司職人(1962年生)

関利彦

寿司職人として成功するまで

寿司職人(1962年生)

関利彦

日々楽しんで握る寿司

寿司職人(1962年生)

関利彦

金の卵を育てる

寿司職人(1962年生)

フランチェスカ・ユカリ・ビラー

ビラーさんにとっての「ニッケイ」(英語)

ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト

フランチェスカ・ユカリ・ビラー

アイデンティティにとっての文化の重要性(英語)

ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト

ジミー・ムラカミ

収容所の絵(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

ジーン・玻満子・シュナイダー

アメリカへ移住することへの葛藤

戦争花嫁(1925年生)

高塩 明

初めて来たときのアメリカの印象

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

キシ・バシ

音楽映画「Omoiyari」について(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

キシ・バシ

音楽映画「Omoiyari」を製作した理由(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

ペルーからカリフォルニアに移住した両親(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

沖縄系アメリカ人(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人