トゥーリーレイクへ(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)私たちは、電車にのる許可証を手に入れました。チケットはありません。それは電車に乗るための政府公認の手紙でした。私たちはトゥーリーレイクへ向かったのですが、列車の旅自体は愉快なものではなく、最悪とも言えるものでした。それをもとに短編映画を作れるくらいです。というのも、ずっと一緒に座ることができなかったからです。私は11歳で、兄は13歳、それからシズエがいました。私たちは、ばらばらになってしまいました。カリフォルニア州のフレズノに行くまでの道中、停車する度に、席を予約済みの新しい乗客がやって来るんです。それで、私たちは席をあけるように言われました。でも車掌さんはとても良い方で、優しかったです。とにかく、移動しなくてはいけなくて、座席が全くないときは喫煙室に行きました。喫煙室は煙だらけで、米兵でいっぱいでした。「ジャップがこんなところで何してるんだ?」と言われ、私たちは隅の方で、怯えているように、縮こまっていました。でも、ひとつだけ席が空いていたので、ひとりでそこへ行きました。そして一度だけ席が2、3個空いたとき、一緒に座ることが出来ました。しかし、ほとんどの時間は離れていたのです。

私はその絵を描きました。私たちが2つの座席に2列でいたときの出来事で、とても感動的だったのです。いまでも思い出します。アメリカについて考える中で、一つだけ良いことがありました。車掌さんがとても優しかったのです。一度女性がやってきて、「このジャップ、私の席で何をしてるの?!」と言うのです。車掌さんが「ご婦人、そんな言葉を使ってはいけません」と言うと、彼女は「こいつらを追い出して。さあ!」と、ヒステリーを起こしているようでした。でも車掌さんは「ご婦人、あちらに座って黙っていなさい」と言い、他の席を指定したわけです。私は退こうとしたのですが、彼女は怒りに燃えた目をしていました。それで、このようなことはまた起きるとので、それに備えなければならない、と思ったのです。

日付: 2012年6月29日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: クリス・コマイ、ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

camps Tule Lake World War II

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