収容所への442連隊の兵士の訪問(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)ダン・イノウエ(上院議員)は第442連隊がキャンプ・シェルビーにいたころの様子を話しています。そこでは「ブッダ・ヘッド(仏頭)」と呼ばれていたハワイの日系人と、「コトンク」と呼ばれていたアメリカ本土の日系人の間に摩擦があり、けんかが耐えなかったそうです。ダンの話では、あまりにひどいので442連隊を解散させようかという意見がでたほどでした。話し合いなども行ったようですが、全く効果がありませんでした。

そこで誰かがハワイの連中に本土の日系人が経験したことを見せたらどうかと、素晴らしいアイデアを思いついたのです。ダンの話では、ハワイグループのリーダー格の何人かがバスに乗せられ、収容所を見るためにアーカンソー州のジェロームまたはローワーに連れて行かれたそうです。彼らは収容所を見て非常に驚き、それから「コトンク」に対する態度が変わったそうです。ダンは「収容所に入れられるなんて、私達(ハワイの日系人)がそんな目にあったら、はたして(軍に)志願などしただろうか」と言っています。

でもねミチさん、でも私には余りピンと来ませんでした。私もローワーやジェロームに連れて行かれれば・・・私の叔父などは収容所にいましたけど・・・。確か叔父もしばらく家族と共にジェロームにいて、それからツールレイク(強制収容所)に移ったのだと思います。

こんな皮肉な話があります。私が軍人として海外に出征するという丁度その時、幸運にも日本との戦争が終わりました。その後サンフランシスコのフォート・メイソンに異動になったので、叔父に会いにツールレイクに立ち寄ったのです。米軍の制服を着た私が、ツールレイクの収容所に入れられた叔父に会いに行くために(セキュリティー)チェックを受けなくてはならないのです。なんとも皮肉な感じでした。

日付: 2004年3月18日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ミシェル・マキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

442nd camps incarceration internment tule lake World War II

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館


主な援助
日本財団