ディスカバー・ニッケイ

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日系人であること:二重の責任感 (スペイン語)

(スペイン語)私は、他の国の大使と同様にやはり二重の責任を感じています。国を代表する仕事は重責を意味し、そして貴殿がいうように日系人であることでその意味はもっと深まり、昔日本からボリビアにもっといい生活を求めて移民した日本人の意思と期待が何らかの形で完結したことになると思えるのです。私は、やはり親があんな遠い国へ移住したときの決意が、もっとも形となった現れだと感じています。そして、この私が大使として両親の祖国に戻ったことは親の努力と苦労が実ったということですが、それはあの南米でも日本人移民の功績が評価されたからなのです。


大使 ボリビア アイデンティティ

日付: 2009年3月24日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アルベルト・マツモト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1958年1月11日、ボリビア共和国、サンタクルス市で出生。1987年、オルーロ工科大学国立技術学部(Universidad Técnica de Oruro, Facultad Nacional de Ingeniería)を卒業。1989年から1999年まで、熱帯農産物研究所管理監督者(CIAT)で勤務。ほぼ同時期にサンタクルス市所在のボリビア地質学学会(GeoBol)の管理監督者も努める。1989年~2000年まで、食品会社IMBAの管理部長。その後1998年~2000年まで、アシミネ・モータースの部長職を、また2000年~2006年までは、クリスチャン・オートモーターズ(トヨタ代理店)のサンタクルス県技術部長も歴任。2007年3月、エボ・モラレス政権より在日ボリビア全権大使に任命され、4月に日本に赴任。2009年3月に離任。

アシミネ氏は、2014年6月、56歳で亡くなりました。(2014年12月)

ボブ・キヨシ・オカサキ

日本の妻の家族(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

竹下幸男

日本人市民としての意識の欠如(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

山野愛子ジェーン

日本語能力の欠如(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

日本文化の伝統を保存(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

アメリカと日本のいいところを受け継ぐ(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

バイロン・グレイサー

アートをサポートすることの重要性(英語)

イラストレーター、デザイナー

ウェイン・ヨコヤマ

余所者(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

10代のサトウキビ畑で働いた経験が、スポーツ選手としてのトレーニングに役立つ

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

ロイ・H・マツモト

ニックネーム(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長