https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1121/
天野博物館館長 (1929年生)
うちの両親は全然スペイン語できないですもの。仕事に行くとか、仕事で人を使うぐらいのこと。それからあの、マーケットへ行って買うしかスペイン語使わないから。私、それから日本人女学校じゃない、ここの日本人小学校卒業して、それからこちらの(?)っていう女学校入ったんですけどもね。だから、どっちがどっち。お二つともちょっと中途半端っていうところが一番(笑)いいところでしょうかね。
日付: 2007年4月18日
場所: ペルー、リマ市
インタビュアー: アン・カネコ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
天野美代子(旧姓:渡辺)はリマ市生まれの日系二世。1954年、実業家・アンデス文明研究家の天野芳太郎氏と結婚。1964年5月には、故夫芳太郎氏とともに、リマ市ミラフローレス区レティロ街に天野博物館を竣工し、8月に開館。現在は、故夫の意思を引き継ぎ、芳太郎氏の私蔵をもって設立され、チャンカイ文化の研究で知られる天野博物館の館長を務める。 (2009年10月)
日本の習慣(スペイン語)
二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)
ひとつの言葉で考え、別の言葉で生活(スペイン語)
日系アルゼンチン人、三世
祖父を理解するために日本語を勉強 (スペイン語)
アイデンティティを決める重要な要素としての日本語 (スペイン語)
移住当初、言葉で苦労
沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)
アルゼンチンでの初めての仕事(スペイン語)
『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)
スペイン語の学習(スペイン語)
米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)
在日三世・剣道家
野田良治先生による日葡辞書
一世教育者(1911年生)
祖母との会話 (英語)
プロアメリカンフットボール選手。(1971年生)
日本語学校(英語)
政治活動家 (1917 - 2004)
日本に移住するまで日本語を話さなかった (英語)
日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)
日本とアメリカ両国の影響を受けて育つ(英語)
第1800工兵部隊の一員。戦後本田の輸出部にて、アメリカと日本の貿易を促進(1919-2020年)
無我夢中で頑張った戦後
戦後ペルーへ戻った理由
天野博物館事務局長(1948年生)