捕虜交換船で強制帰国させられた天野芳太郎

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

戦前には、天野はパナマで貿易やってたんですね。…それで、パナマで、貿易がうまくいった時には、エクアドル、あ、コスタリカまでに、コスタリカ、エクアドル。それから、ペルーにもちょっとお知り合いがいて、それからリマ通り越して、チリのコンセプションに土地を買って、大きな農場を始めたんですね。はい。

I*: これはいつ?

これは戦前。戦争が始まるまで。それで、あの何かアメリカと日本の、何て言いますか、関係って言うんでしょうか・・・あまりおもしろくなくなってきた時に、天野、早速前の家族ですね。前の家内と子ども2人を日本に返して、そして、あの、彼はまだパナマに残っているうちに、やっぱり、何て言いますか・・・探偵のアメリカの探偵さんたちに捕らわれて、全部、えっーと、何て言うんでしょう。えーーー(笑)。牢屋に入れられて、それからアメリカに送られて、ずっと、1年近くいて、で、第一交換船で日本に帰っていったんですね。

*I はインタビュワー(アン・カネコ)

日付: 2007年4月18日
場所: ペルー、リマ市
Interviewer: アン・カネコ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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