日本語をより学ぶことになったきっかけ

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

普通家で、両親たちは日本語しか使わなかったし、それから、天野と結婚しましたら、ますます日本語でしょ。で、まず天野とお仕事しましたのは、あの人ね、自分はスペイン語を読むにも英語を読むにも、すっごく手間隙かけて読まないとあまり意味が分からないし、そんなに上手じゃないから、誰か若い人で読める人があったらっていうので、岡本さんに頼んだらしいんですね。

で、私、英語はできないけれども、なぜか岡本さんが、日本語もできないのに岡本さんが私って言ったんですね。だから、必死でもって(笑)。そんな仕事やったことないのに・・・女学校を出てまもなくね。私、小学校だってろくに日本語やってません。もう戦争で(?)全然。そのあと、私よりか上の人たちは、家政女学校ってあったんですね。あの人たちは上手ですよ。私は、もういいかげんな。でも、家で日本語だったし、天野と結婚して、日本語になったし。それから、日本からのお客様が多かったからでしょうか。でも、私、全然勉強してないの。

I*: じゃあどっちのほうが楽ですか?スペイン語より日本語のほうが楽?どっちのほうが楽?

まぁ、本当にお行儀悪いけども、えへっ、両方使ったほうがいいんですけども。うーん、どうでしょうかね。自分でもよく分かんない(笑)。どっちもできないってことですよ。

*Iはインタビュワー(アン・カネコ)

日付: 2007年4月18日
場所: ペルー、リマ市
Interviewer: アン・カネコ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

language nisei peru

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