ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1115/

歴史好きだった天野芳太郎

1911年に、マチュピチュはハイラム・ビンガムっていう学者が発見したんですよね。それから、マチュピチュ、非常に有名になったんですけども。天野が、27年か8年かに行った時には、まだ本当に、マチュピチュちっちゃくて、道もまだできてなくて、ホテルもなくて、小さな日本人が経営してるホテルに泊まって、それで上へ行ったんですよ。その時はもうね、4日かそのくらいかかって見学したんですよ。道なき道を。インカの道路を。それこそ。全然、まだ発達してませんでしたから。観光ルートなんてなかったですから。そういう時に、あの人行ってるんですよ。

絶えずあの人、日本にいる時から歴史が好きで。はい。もう歴史、漢文ね。中国のあれ大好きで。みんなメモリア(記憶)で、空覚えしてました。だから、中国人とお話する。言葉でお話できないけども、こう執筆[筆記]っていうんですか、こう書くと、全部意味が通じる。そうやって、友達ができてましたよね。


天野芳太郎

日付: 2007年4月18日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

天野美代子(旧姓:渡辺)はリマ市生まれの日系二世。1954年、実業家・アンデス文明研究家の天野芳太郎氏と結婚。1964年5月には、故夫芳太郎氏とともに、リマ市ミラフローレス区レティロ街に天野博物館を竣工し、8月に開館。現在は、故夫の意思を引き継ぎ、芳太郎氏の私蔵をもって設立され、チャンカイ文化の研究で知られる天野博物館の館長を務める。 (2009年10月)

阪根 博

天野芳太郎の南米進出

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

研究のためにビジネスに力を入れた天野芳太郎

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

戦後ペルーへ戻った理由

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

捕虜交換船で日本へ帰国

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

チャンカイ文化を選んだ天野芳太郎

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

世紀の大発見、シクラス

天野博物館事務局長(1948年生)

ジーン・玻満子・シュナイダー

捕虜交換船で戻ってきた父

戦争花嫁(1925年生)