ディスカバー・ニッケイ

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移住当初、言葉で苦労

言葉が第一ですよ。もう言葉ばっかしです。仕事は自分で洗ったりなんかしたんですが、アテンドは父が外人を雇ってやらしていたんです。私は プランチャードール(アイロン係)で、父は洗っておりました。奥のほうで。(スペイン語が)全然分からなかったもんですから。私は父の叔父さんのところでレパルティドール(配達係り)しておりましたから、「aunque sea un poco」(少しだけでも)という、「aunque sea mitad、 (半分でも)払ってくれないか」ということを、「aunque sea 」という言葉ばっかしは分かっていたんですから。


移住 (immigration) 言語

日付: 2006年11月28日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

大正6(1917年)年11月30日、沖縄県大里村平良生まれ。旧制の第一中学に学ぶ。サンタフェ州ロサリオ市で洗濯業、ブエノスアイレス州パチェコ地区、モレノ市で花栽培を営み、現在は生花店を営む長男夫婦とともに、カセーロに居住。 (2006年11月28日)

ビンス・オオタ

日本へ来たきっかけ(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

フランク・ソギ

日本語学校に通ったこと(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

戦後日本行きを志願(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

日系アメリカ人として持つ日本に対する親近感(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

ロベルト・ヒロセ

ハーフ日系(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ロベルト・ヒロセ

ラテンアメリカにおける日系人の多様性(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ロベルト・ヒロセ

日本の習慣(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

赤間みちへ

ブラジル移民の目的

一世。ブラジル女性教育の先駆者

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父のアルゼンチン移住 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ポーラ・オヨス・ハットリ

ひとつの言葉で考え、別の言葉で生活(スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父を理解するために日本語を勉強 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ポーラ・オヨス・ハットリ

アイデンティティを決める重要な要素としての日本語 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

高木一臣

日本を離れ、いざアルゼンチンへ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)