ディスカバー・ニッケイ

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移住当初、言葉で苦労

言葉が第一ですよ。もう言葉ばっかしです。仕事は自分で洗ったりなんかしたんですが、アテンドは父が外人を雇ってやらしていたんです。私は プランチャードール(アイロン係)で、父は洗っておりました。奥のほうで。(スペイン語が)全然分からなかったもんですから。私は父の叔父さんのところでレパルティドール(配達係り)しておりましたから、「aunque sea un poco」(少しだけでも)という、「aunque sea mitad、 (半分でも)払ってくれないか」ということを、「aunque sea 」という言葉ばっかしは分かっていたんですから。


移住 (immigration) 言語

日付: 2006年11月28日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

大正6(1917年)年11月30日、沖縄県大里村平良生まれ。旧制の第一中学に学ぶ。サンタフェ州ロサリオ市で洗濯業、ブエノスアイレス州パチェコ地区、モレノ市で花栽培を営み、現在は生花店を営む長男夫婦とともに、カセーロに居住。 (2006年11月28日)

マリオン・ツタカワ・カネモト

条約商人としてアメリカへ入国した母(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

フレッド・ササキ

フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

キミ・ワカバヤシ

見合い結婚 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ミツオ・イトウ

日本語学校 (英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

田中誠一

渡米(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

エンセン・井上

渡日の理由(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

ビル・ハシズメ

カナダの呼び寄せシステム(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

ビル・ハシズメ

1954年にカナダへ帰国した理由(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

飯野正子

一世女性とのインタビューを通して感じたこと

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

日本から移民した女性としなかった女性の違い

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

ロイ・ヒラバヤシ

学校と家で学んだ日本語(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長