ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/617/

Asian Americans for Actionへ参加してよかったこと(英語)

(英語) (AAA: Asian Americans for Action1)はとても良い経験になりました。お陰で有色人種に対する差別や不当行為という点で、アメリカの司法制度に欠陥があることをもっと意識するようになりました。この3月にAAAの活動に参加したのですが、これにはかなりショックを受けましたよ。「お前らの来た国へ帰れ!」「Gook(東洋人の蔑称)!」などの憎悪に満ちた罵声を浴びながら街中を(デモ行進して)歩くんですから、かなり抵抗がありましたね。

面白いことに新聞社は(デモ行進をする)アジア人を写真に撮るんですね。私たち(アジア系アメリカ人)は、一般的に公共の場で大声で叫んだり、デモ行進をするというイメージがありせんからね。その私たちが、若い人を中心に、さらに私たちの様な年配が加わり、こうしてデモ行進をしているんですもの。そしてその写真は『Village Voice』紙に掲載され、なんと私がそのど真ん中に写っているではありませんか!(笑)「まあ、どうしましょう!これじゃ家族の人にも分かってしまうわ!」と思いましてね。(笑)当然家族には分かってしまい、「あなたは一体全体何をしているの?」と言われましたよ。

でも良いんです。私たちがした事は正当な理由があってのことですからね。リサ2も一緒に参加しましたが、これで娘も家族という小さな世界や自分達のコミュニティーの外にも目を向ける様になったので、とても良かったと思います。

1. Asian Americans for Action(またはAAA)はカズ・イイジマとシズ・ミン・マツダによって設立された、East Coast pan-Asian organizationsの最初の団代。エスニック・アイデンティティと誇りを重視し、それらを協会の理念としている。様々なアジア人アメリカ人団体と結集し、政治活動を奨励したりする一方で、自分達も政治活動を行っている。

2. リサ・ホ・アベ。話し手の次女。1951年生まれ。


Asian Americans for Action(団体) 人種差別 リドレス運動

日付: 1998年8月26日

場所: 米国、バージニア州

インタビュアー: ダーシー・イキ、ミッチェル・マキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

アイコ・ヨシナガ・ハージックは1924年、カリフォルニア州サクラメントに生まれました。熊本県出身のヨシナガ一家は、1919年に渡米し、世界恐慌の頃にカリフォルニア州ロサンゼルスへ引っ越しました。

第2次大戦中、初めは夫の家族とともにマンザナーへ収容されていました。その後、夫と離れ、生まれたばかりの娘と共に、実父母の収容されていたアーカンソー州ジェローム収容所へ転送されました。1944年、ヨシナガ一家は収容所を出てニューヨークへ移り住みました。その後、夫と離婚しますが、2世兵士と再婚しました。アイコは、占領下の日本で従軍することになった2番目の夫とともに、日本へ移り住みました。そこで夫の同僚であるジャック・ハージックと出会い、その後1978年に彼と結婚しました

アメリカ帰国後、Asian Americans for Actionの活動に参加するようになりました。補償運動の際は、夫ジャックとともにワシントンDCの国立公文書館で資料を集め、とても重要な役割を果たしました。公文書館からの資料はフレッド・コレマツ、ミノル・ヤスイ、ゴードン・ヒラバヤシの判決を取り消すための再審請求(coram nobis)でも重要な証拠としても提示されました。また、アイコはCommission on Wartime Relocation and Internment of Civilians(戦時中の民間人転住と収容 に関する委員会)の主要な調査員として任命され、法務省のRedress Administration(補償運動管理局)で補償金の受け取りが可能な個人を特定などに携わりました。 

2018年7月18日、93歳で亡くなりました。(2018年7月)

Clifford Uyeda
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クリフォード・ウエダ

補償が残した遺産(英語)

政治活動家 (1917 - 2004)

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Frank Emi
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フランク・エミ

「しかたがない」意識を超えて (英語)

徴兵忌避者。ハート・マウンテンのフェア・プレイコミティのひとり(1916-2010)

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Young O. Kim
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ヨンオク・キム

基本訓練 (英語)

第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)

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Young O. Kim
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ヨンオク・キム

アジア人皆のために(英語)

第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)

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Sakaye Shigekawa
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サカエ・シゲカワ

強制収容以前に経験したトラウマ (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

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Sakaye Shigekawa
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サカエ・シゲカワ

「みんな、盲従した」 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

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William Hohri
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ウィリアム・ホウリ

訴訟を行うことで人権回復のための基準を設定(英語)

政治活動家(1927-2010)

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Norman Yoshio Mineta
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ノーマン・ヨシオ・ミネタ

初期の戦時民間人転住勾留委員会(CWRIC) (英語)

アメリカ合衆国元運輸長官(1931年生)

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Norman Yoshio Mineta
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ノーマン・ヨシオ・ミネタ

法案442 (英語)

アメリカ合衆国元運輸長官(1931年生)

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Norman Yoshio Mineta
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ノーマン・ヨシオ・ミネタ

最後のハードル、レーガン大統領 (英語)

アメリカ合衆国元運輸長官(1931年生)

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Jimmy Murakami
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ジミー・ムラカミ

補償金について(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

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Tom Yuki
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トム・ユキ

日系人の帰還を歓迎しなかったサリナス(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

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Takayo Fischer
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タカヨ・フィッシャー

戦後の米国で人種的に自分が何者なのか混乱(英語)

日系アメリカ人二世、舞台、映画、テレビ女優 (1932年生)

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Kazumu Naganuma
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カズム・ナガヌマ

彼の妹は家族のために賠償金を確保した

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

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Mia Yamamoto
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ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

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