別々に収容された家族(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)父がとても重い病気にかかり、容態が悪化しているという知らせが届きました。そこで私は父のいる収容所(アーカンソー州ジェローム)に移らせて欲しいと請願したんです。その時私にはマンザナー(カリフォルニア州)で最初に生んだまだ赤ちゃんの娘がいて、まずはその子を連れ(2人だけで)父に会おうと収容所を移りました。というのも(WRA:戦時転住局が)主人の転住を許可してくれなかったからなんです。(夫に)「容態が悪いのはあなたの妻の父親であって、あなた自身の父親ではない」と言ってね。ですから私と主人はいったん離ればなれになることになったんです。最悪の事態が起きたのは、(マンザナーを離れた)その直後でした。私がアーカンソー州の収容所に着いたちょうどその時、父が救急車に乗せられ(収容所の)病院に運ばれていくではありませんか!父は(赤ちゃんだった)娘の顔をちらっと見ましたが、娘の顔を見たのはそれが最初で最後となってしまいました。10日後のクリスマスの朝、父は収容所で息を引き取りました。これは私たち家族にとって本当に悲しい出来事でした。

日付: 1998年8月26日
場所: 米国、バージニア州
Interviewer: ダーシー・イキ、ミッチェル・マキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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