インタビュー
最後のハードル、レーガン大統領 (英語)
(英語)ある人物が居ました。彼の名は、グラント...
I*: ウジフサ
そう、ウジフサ。グラントは、『リーダーズ・ダイジェスト』誌の編集者でした。彼と法案の話をしていた時、私はこう言いました。「グラント、わかっているだろうが、まだ山を超えたわけじゃないんだ。」 彼は、「ニュージャージーのトム・キーン州知事がレーガン大統領に会う予定です。知事は、1時間程度大統領の車に同乗します。キーン知事に状況を説明し、レーガン大統領が法案を拒否しないよう話してもらってはどうでしょう?」私は、それはとても良い考えだと言いました。資料を準備し、グラントはキーン知事に会いに行き、大統領車の中の会話は、法案の話にすべきだと説得しました。
実は、レーガン大統領が大尉だった頃、マスダ軍曹(442部隊の軍曹だった)の地元墓地への埋葬が拒否された際にも、レーガン大尉は現場に居たのです。彼は、マスダ軍曹が最終的に地元ではないどこかの墓地に埋葬された際にも立ち会いました。ですから、大統領に当時のことを思い起こさせる人物は他にも居たことになります。墓地か葬儀での写真も存在していますし、そのことを思い出してもらうよう大統領にも渡されていました。しかしながら、本当の意味で、レーガン大統領が法案を拒否しないよう話をしてくれたのは、キーン知事でした。
*「I」はインタビュワー(トム・イケダ)
日付: 2008年7月4日
場所: 米国、コロラド州
インタビュアー: トム・イケダ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター