ニューヨーク市の日本人に対する戦争ヒステリア(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)戦争が勃発した時、姉は確か三菱で働いていましたが、当然直ぐに失業してしまいました。姉の夫も病院で働いていましたが、同じく一世だったために失業してしまいました。まだ若かったんですけどね。こうして2人とも職を失ってしまい、長い間ニューヨーク市のアパートに閉じこもる生活を余儀なくされたんです。たまたま親切なお友達がいて、その人たちが食べ物を持ってきてくれたそうで、食べることだけは何とかなっていたようですけど。当時ニューヨークに住んでいた人から聞いたことがあるかと思いますが、ラグアディア(Fiorello LaGuardia)市長(当時)は「日本人を祖先にもつ人達は、自己責任でニューヨークの街を歩くように」と発表したんです。つまり市長はその人達を守らない、安全の保障はないと言っているわけですから、それは怖いですよ。でもヒステリー状態は徐々になくなっていき、戦況がアメリカに有利になってくると、ニューヨーク市に住んでいた日本人はほうっておかれるようになったようです。

日付: 1998年8月26日
場所: 米国、バージニア州
Interviewer: ダーシー・イキ、ミッチェル・マキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

discrimination racism World War II

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