インタビュー
初期の戦時民間人転住勾留委員会(CWRIC) (英語)
(英語)9月頃でしょうか、いつだったかは覚えていませんが、1978年9月か10月頃、全米日系人市民協会(JACL)の人たちがイノウエ上院議員、マツナガ上院議員、マツイ下院議員そして私に会いに来ました。ボブ(マツイ上院議員)が国会議員に当選したのが76年なので、78年ですね。全員で集まった時、私が最初に言ったのは、「コマッタネ」でした。大変な問題だ、一体どうしようか、という気持ちでした。
我々は、かなり充実した議論をすることができました。そしてイノウエ議員がこう言ったのです。「アメリカ人が何が起こったか知らない限り、我々はこの問題を解決することはできない。アメリカ中がこの出来事を知り、地元選出の上院・下院議員に話せば、議員も、何が行われたか知るだろう。しかしながら、公に知られることが無い限り、どうにもならないだろう」と。そして彼は続けました。「ケネディ暗殺事件を検証するためのウォーレン委員会が立ち上がり、委員会レポートが作成されただろう。公聴会は延々と続き、毎晩ニュースが流れ、レポートが作成された。レポートはよくニュースでやっていたし、レポートそのものがベストセラーになった。我々は、そういうことをすべきだ」。
続いてイノウエ議員は、調査委員会の名前は忘れましたが、ケント州立大学銃撃事件を引き合いに出し、「強制退去と強制収容に注目が集まり、広く知られるようにならなければ、手も足も出ないだろう」と言いました。スパーク・マツナガ議員は、「ハワイ先住民に関わる法案があるのだが、委員会を立ち上げるための土台にしてはどうだろうか」と言いました。
私にはグレン・ロバートという大変優秀な若者が法案部長として働いてくれていました。彼の兄弟のスティーブ・ロバートは「ニューヨーク・タイムズ」の記者で、スティーブの妻クッキー・ロバーツはCBS放送で働いていました。とにかく、グレンはその会合に同席していたので、スパークのハワイ先住民の法案を元に、後の戦時民間人転住勾留委員会(CWRIC)の土台を作りました。
日付: 2008年7月4日
場所: 米国、コロラド州
インタビュアー: トム・イケダ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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