ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1607/

移住当初の生活

大学3年の時、まずはじめ来た時に羽田飛行場で、クラスメートが日本の日の丸に寄せ書きして、ばんざい、ばんざいって来て。来て、そして仕事がなかなか見つからないで。ちょうどアポロ13号が月に着陸した時ですね。オリンピック(通り)歩いていた時に、車がぷっぷっぷーって成功して音して。自分は仕事ないんでこのまま下手して日本に帰ったらえらい恥かくなあってな感じで。震えがきてて、公園でパン食べながら、どうしようどうしようって考える時期がありましたね。それで、運良く仕事がまあ、学生の時に見つかって。ハウスオブパンケーキの、日系人のクワダさんっていう(人が)経営している所で、そこで皿洗いを。それで一応落ち着いたって感じですね。


カリフォルニア州 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 ロサンゼルス 移住 (migration) 戦後 新一世 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2015年8月4日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1969年にアメリカへ初めて入国。1年半、ロサンゼルスで生活した後、半年ほど世界各地を訪問し、日本へ帰国するが、海外の生活に感銘を受け、その後再びアメリカへ戻ることを決意し、観光ビザでアメリカへ渡米。渡米当初は、庭師のヘルパーなどを2年ほどしていたが、その後独立し、正規のビザを取り、飲食業を始める。現在は、カリフォルニア州オレンジ郡とロサンゼルスを中心に居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」を経営している。(2018年8月)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

田中誠一

渡米(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

エンセン・井上

渡日の理由(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

ビル・ハシズメ

1954年にカナダへ帰国した理由(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ビンス・オオタ

日本へ来たきっかけ(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ロベルト・ヒロセ

少数の日本人家族と共に育って(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ジョン・ナカ

徴兵回避のためアメリカへ帰国(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父のアルゼンチン移住 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

外間良広

日本からアルゼンチンへ

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

高木一臣

日本を離れ、いざアルゼンチンへ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

彼をアルゼンチンに留まらせたタンゴ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンへの渡航(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)