(スペイン語)私は神戸港を発ち、太平洋、インド洋、そして大西洋を46日間かけて渡航しました。ただ、出航したときはあまり感傷的になることはありませんでした。というのも神戸港に到着したときには港湾労働者のストで、船が出港できなかったからです。ストが解決しないことには船は出港できず、忍耐強く待つだけでした。(ストの状況を見に)毎朝8時に港へ行きました。私は、叔父と叔母の家に滞在していたのですが、叔父と叔母には「見送りの必要はないよ。今日も船がでなければお昼頃には帰宅するし、もし僕が帰ってこなければ船が出港したと言うことだから」と言って家をでました。そんな毎日が10日間くらい続き、おじさんたちも慣れてきて「また帰ってきたのか」って、「お前はまた戻ってくるだろうね」っていうんです。そして、ある日(船は出港し)私は叔父の家に戻らずにすんだのです。 当時、船で海外に行くということはとても寂しいものでした。見送りにくる人も発つ人も涙を流し、別れのテープを握りながらみんなで「蛍のひかり」を歌っていました。ドラマチックな姿ですが、私の場合、誰も見送りにはきませんでした。 乗船して、「何時に出港しますか」と聞いたら、「夜の8時」と言われたので、私は少し休んでから日本へお別れをしようと思ったのです。起きた時、時計を見たら8時になっていました。外がかなり明るかったのでウェイターに「もう出港しましたか」と聞いたら、「昨夜8時に出ましたよ」と言われ、私が目覚めた時は、もうすでに太平洋にいたのです。寂しいセンチメンタルな別れはなく、むしろその方が良かったと思っています。
日付: 2007年2月23日
場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス
Interviewer: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ
Contributed by: アルゼンチン日系センター