https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/996/
三世の和太鼓奏者。マウイ太鼓のリーダー(1960年生)
(英語)広島で最初にしたことは、広島平和記念公園への訪問でした。メンバーはショックを受け、かなり動揺していました。こういった感覚や絶望感というのは、平和記念公園に実際に行かなければ、なかなかうまく伝わらないかもしれません。私たちは日本人のように見えますが、平和記念公園を訪れている我々はアメリカ人ですよね。行って見て、日本の人々がいかに慈悲深いかもわかりました。あんなことがあって、10万人、それ以上の人々がそこで亡くなったにも関わらず、数十年後、私たちは再びその土地に足を踏み入れることを許されたのですから。
また、日本の人々は、素晴らしい太鼓のお祭りに私たちを招待し、温かく迎え入れてくれました。お祭りの後には、5つの太鼓グループが集い、素敵な会も催されました。私は、日本人が、あのような絶望を乗り越えたことにも感動しました。
平和記念公園を訪れたのは2001年でしたが、旅行から戻った後、何ヶ月もしないうちに9.11の事件がありました。私たちは完全にショックを受けました。広島で10万人もの人々を巻き込む惨事を目の当たりにした後、ワールドトレードセンターで数千もの人々が命を失うことになったのですから。そのタイミングは、私たちにとって啓示のようでした。自分たちにもできることがあるはず、と思ったのです。そして、マウイ・インターナショナル・ドラムスという平和のためのコンサートを開催しました。多様な人種・民族の人々に参加してもらい、様々な宗教団体から講演者を招き、平和のために語ってもらいました。私たちのやり方は、平和に焦点を当てるということでした。
日付: 2004年7月9日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
マウイ太鼓のカイ・フクモト氏は地元ハワイ州マウイで何世代にもわたりお盆祭りで太鼓を演奏してきた家庭に生まれました。現在は彼女の夫と息子もマウイ太鼓のメンバーです。マウイ太鼓がグループとして正式に結成されたのは1996年ですが、マウイでのグループの歴史は100年以上にも及びます。
1970年、当時10歳の彼女はマウイ島のお盆祭りで太鼓を演奏しましたが、女の子がお盆祭りで太鼓を演奏するのは初めてのことでした。現在はマウイ太鼓のリーダーとして活躍しており、お盆シーズンにはグループを率いて16のお寺で演奏します。2001年には彼女が中心となって、演奏のため、マウイ太鼓のグループをつれ、福島県と広島県で太鼓公演のツアーを行いました。(2004年7月9日)
三世の太鼓への理解
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる
手作りの太鼓
太鼓哲学
太鼓を通しての日本文化の再発見
サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞
渡米の理由
太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)
アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス
太鼓のスタイルの違い
それぞれの太鼓グループの持つオリジナリティの重要性
アメリカに住むことの利点
太鼓コンテストを通して育まれるグループとしてのアイデンティティ
日本文化の伝統としての太鼓の音
緊那羅太鼓とサンフランシスコ太鼓道場の違い(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
伝統からの脱却(英語)
非太鼓グループとの共演(英語)