ディスカバー・ニッケイ

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戦後アルゼンチンに戻る(スペイン語)

(スペイン語)戦後直後は、日本から絶対に出国することはできませんでした。しかし、ペロン等の委員会ができ、オガワ、またはオカワという人物がペロンとのパイプを持っていたということで、アルゼンチンの二世たちは無償でアルゼンチンに帰国することができました。私たちは第一陣で横浜港から出国しました。そして、一世たちも親戚の呼び寄せ制度によってアルゼンチンに渡ることができました。親戚が身元保証人になりました。その結果、かなりの日本人が集団で「オランダ船」という船で渡航しまたのです。


移住 (immigration) アメリカ合衆国 呼び寄せ

日付: 2006年9月18日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

ルイス・ヤマダ氏は、1929年、福井出身の移民の両親のもと、ブエノスアイレスに二世として生まれました。ヤマダ氏は少年期に日本へ渡り、大戦中の日本を生き、戦後アルゼンチンへ戻りました。戦前、戦中、戦後の日本を体験しました。今日、ヤマダ氏は、アルゼンチン国内で最も権威ある組織の1つ、全アルゼンチン風景画学会(Instituto Argentino de Paisajismo)の代表を務めています。(2006年9月18日)

ビル・ハシズメ

1954年にカナダへ帰国した理由(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

飯野正子

一世女性とのインタビューを通して感じたこと

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

日本から移民した女性としなかった女性の違い

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ビンス・オオタ

日本へ来たきっかけ(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ロベルト・ヒロセ

ハーフ日系(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ロベルト・ヒロセ

ラテンアメリカにおける日系人の多様性(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

赤間みちへ

ブラジル移民の目的

一世。ブラジル女性教育の先駆者

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父のアルゼンチン移住 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

外間良広

移住当初、言葉で苦労

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

高木一臣

日本を離れ、いざアルゼンチンへ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

彼をアルゼンチンに留まらせたタンゴ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンへの渡航(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)