インタビュー
テキサス州ラレドの拘置所にいるヒスパニック系移民家族について
しかし、このラレドへの旅は、母や姉妹が経験したことを最も身近に感じられた旅でした。通訳がいて、スペイン語で彼女たちの声を聞いていました。彼女たちは「なんてことだ、彼女たちの話は私たちの話とは比べものにならない」と言っていました。彼女たちは6か月から1年拘束され、私たちは3年半そこにいましたが、彼女たちは比較にならないと思っています。
しかし、彼女たちがスペイン語で自分たちの話をしてくれたので、特に姉のキヨが目に留まりました。姉は今二番目で、収容所を出てすぐに結婚したので、ロサンゼルスに行きました。姉が一種の責任者で、いろいろやってくれました。姉はスペイン語と日本語しか話せなかったので、英語はスペイン語訛りが強かったです。それで私たちはいつも楽しく過ごしました。しかし、女性たちが話しているのを聞いて、グアテマラ出身の女性が4人の子供について話していました。一番上の子が18歳で、娘も18歳で、連れ去られました。これは今起こっていることで、彼女はその理由がわからず、後で「まあ、彼女は18歳だから自分で何とかできる」と言われました。そんなことをする法律はありません。彼らはいつも法律を破っています。私たちに対してやったことと何ら変わりません。彼女たちが自分たちの話をしているとき、彼女たちは泣き崩れ、通訳も泣いていました。その瞬間、私は両親と姉が経験したことを少しだけ感じました。
私は本当に悩みました。その時、私は「ああ、スペイン語を話したり聞いたりすると、姉や母が経験したことをすぐに感じることができる、なぜなら彼女たちが話していたのはスペイン語か日本語だけだったから」と言いました。
日付: 2019年9月20日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター