ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 輸送船に乗せられてからは、女性と子供達はデッキの小さな船室へ、男性は船底の方へ入れられました。私のように年齢が上の子供達は、大人の男性と一緒に船底に連れて行かれました。私たちは一日に2回10分間だけデッキに上がることが許されましたが、その間女性と子供達は船室の中に居なければなりませんでした。カヤオからパナマ運河を経て、ニューオリンズに到着するまで21日かかりましたが、その間、家族がお互いに顔を合わせたことはただの一度もありませんでした。

(輸送船上で)とにかく何が酷かったかといいますと、船の中がそれはもうぎゅうぎゅう詰めの状態だったことです。鉄製でキャンバス地張りの折りたたみ式のベッドがあったのです。昼間はそれをたたんでいたので少しはスペースに余裕がありました。でも夜、そのベッドを船底で広げると歩き回れるスペースなんてほぼ皆無なんですよ。ニューオリンズに降り立つと、まず女性と子供達が船から降ろされ、倉庫のようなところに並んで入って行きました。そこで彼女達は衣服を全部脱ぎ裸で一列になるよう命じられ、殺虫剤をかけられていました。何かの殺虫剤でしたね。その後シャワーをあびて列車に乗せられたのです。男達も全く同じ行程を辿り、そうしてようやく私たちは家族と再会することができたのです。

日付: 2003年10月26日
場所: 米国、ワシントン州
Interviewer: アリス・イトウ
Contributed by: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

U.S. transport ships World War II

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