ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1605/

海外に憧れ調理師免許を取得

大学の時にアルバイトでほとんど飲食関係、お弁当屋さんとかなんかで働いていて、それでお弁当屋さんの社長から、一応調理師免状を取る場合には許可をもらわなきゃいけないんですね、その人の、社長のサインを。それをもらって調理師免許、受かったんですね。それを持って。なぜ取ったかって言ったら、当時調理師免許取ってれば貨物か貨客船にただで船に乗れて外国に行けるんじゃないかなって考えで取ったんですけど。それはなくてこちらに来て、その当時、ガーデナー(庭師)やる前に、日本人街に来た時に日本食レストランが2、3軒きりなかったんですね。自分、調理師免許持ってますよって言ったら、もうびっくりしちゃって、逆に雇ってくれなかったんですよね。そういう凄い人はいらないっていうような感じで。


カリフォルニア州 ライセンス ロサンゼルス 移住 (migration) アメリカ合衆国

日付: 2015年8月4日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1969年にアメリカへ初めて入国。1年半、ロサンゼルスで生活した後、半年ほど世界各地を訪問し、日本へ帰国するが、海外の生活に感銘を受け、その後再びアメリカへ戻ることを決意し、観光ビザでアメリカへ渡米。渡米当初は、庭師のヘルパーなどを2年ほどしていたが、その後独立し、正規のビザを取り、飲食業を始める。現在は、カリフォルニア州オレンジ郡とロサンゼルスを中心に居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」を経営している。(2018年8月)

西村 俊治

借金の取立てにうんざりしブラジル移民を決意

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

渡伯初期の生活

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

エミ・笠松

大戦中の日系パラグアイ人の扱われ方(スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

エミ・笠松

パラグアイの最初の日本人移住地 (スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

エミ・笠松

日系人のパラグアイ農業へ貢献 (スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

松原由美

両親に内緒で渡米

岐阜県出身新一世。 最近アメリカ市民権を取得。

ヘンリー・シミズ

祖母に説得されて帰加した母 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

カナダ政府による日本送還への圧力 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ベナンシオ・シンキ

アメリカ大陸へ (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

児玉良一

世界を見るためにブラジルへ

笠戸丸移民

児玉良一

ブラジルへ来る船の中で

笠戸丸移民

児玉良一

日本人初の運転手

笠戸丸移民

サカエ・シゲカワ

地域によって違った差別の状況 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)