インタビュー
タンフォラン集合センター(英語)
(英語)その日の朝のことを覚えています。私たちは全員集合させられました。家から半ブロックの距離でした。人が大勢集まっていました。ブッシュ通りにはバスが連なり、兵士がいて、軍の警備隊も来ていました。もちろんその頃の私がイメージする兵士は怪物のようなものでした。巨大な大男たちでした。ほとんどの日本人は、もっとずっと小柄だったので、兵士たちは私には巨人に見えました。名札が渡されました。肌寒く霧雨の降る、サンフランシスコらしい天気の日だったことを覚えています。そして名札をつけたままバスに乗り込みました。バスが出発し、窓の外に目をやると、もっと大勢の一世や二世が次のバスに乗り込んでいくのが見えました。荷物なども積み上げられていました。
時間はあまりよく覚えていませんが、気が付くとタンフォランで車が止まりました。子供だった私には、その時初めて行く場所でした。競馬場でしたからね。バスを降りて、特別観覧席が見えたのは覚えています。馬小屋もたくさんありました。タンフォランの中の方に入っていくと、バラックが建設されていました。全て建てられたばかりでした。
新しいバラックに住むことができた私たちはラッキーでした。早く到着した友人たちの中には馬小屋の中で過ごしていた人も居ました。到着直後の馬の糞尿の悪臭はとにかくひどいものだったと言っていました。当然ハエが飛び回り、隅には大きなクモの巣が張っていました。
折りたたまれた軍用の簡易ベッドが横に置いてありました。それを開き、「マットレスはどこ?」と言うと、「あそこに麻袋があるだろ。外に出ると干し草があるから袋に詰めてマットレスにするんだ」と言われました。もし自分にアレルギーがあって、その上で寝なければならないなんて想像できますか?その上悪臭もありました。
日付: 2015年8月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター