インタビュー
記者の責任 (英語)
(英語)収容所におけるフェンスの有無は、重大な問題でした。収容者がフェンスに囲まれていることが、集合センターでの人々の苛立ちの原因の1つだったのです。日系人がハート・マウンテン収容所に送られたばかりのころ、収容所にフェンスはありませんでした。フェンスを建てる必要性はなかったのです。なぜならその土地は、ヤマヨモギの中を20マイル歩き続けても、どこにもたどり着かないような場所でした。人々が収容所の生活に慣れると、軍は有刺鉄線のフェンスで敷地を囲み、見張り塔を建てることにしました。そして収容所の日系指導者たちは、フェンスを取り外すよう請願書への署名活動を行ったと記憶しています。そして集まった署名を、WRA(戦時転住局)に送りました。
この出来事は収容所新聞(ハート・マウンテン・センチネル)で取り上げなければならない重大なニュースでした。我々はそのニュースを、新聞の一面トップの見出しにしました。同時に私たち記者には、その記事が収容者の怒りを助長し、何かの事件を引き起こすことのないよう配慮し、記事を書く責任もありました。もし事件が起これば、かなり危険な事態に陥っていたでしょう。ですから私たちには、挑発的ではない内容の記事を書く責任がありました。そのニュースを中立的に扱いながら、1面記事のトップに載せることで、私たちはその責任を果たすことが出来たと考えています。客観的に書かれた記事の掲載により、結果的に読者満足を得ることができたのです。
日付: 2001年7月13日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: アリス・イトウ、ダリル・マエダ
Explore More Videos
アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
ディスカバー・ニッケイからのお知らせ
ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。
@discovernikkeiへのフォローお願いします。新しいサイトのコンテンツやイベント情報、その他お知らせなどなど配信します!