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ウォルト・ディズニーとの初めての遭遇(英語)

(英語)実家を出ることに、私は少し怖気づいていました。日系アメリカ人コミュニティを離れることになるからです。日系コミュニティは、高校の時の数人の白人の友人以外、日系の友人たち全員がいる場所でした。「ここに来たら、僕はもう実質的に白人の世界にいるんだ」と思いました。少し怖かったですが、シュイナード芸術学校に行き始めると、ジミー・ムラカミや彼の兄弟のジェイムズ・ムラカミ、ロイ・モリタがいました。他の二世の人たちも私たちも、皆同じことに興味を持っていました。アニメーションの仕事をするという道を私たち全員が追いかけていたので、居心地良く感じられるようになりました。

ディズニー・スタジオに初めて行った時は、雇ってもらおうなどという気持ちは全くありませんでした。ただ単にスタジオの中を見たかったのです。たまたま学校で作ったポートフォリオを持っていたので、それをチケットにしてスタジオに電話しました。すると面接に来るように言われたのです。私は、「どうしよう、怖い」と思いました。本当に恐れをなしていました。

スタジオに到着し、エレベーターに乗りました。エレベーターが閉まり切る直前にドアが突然開き、目の前にウォルト・ディズニーが立っていました。同僚と一緒でした。かなり深い話をしながらエレベーターに乗り込んで来ました。私は後ろに乗っていました。(驚いたような表情をして)こんな風にね。彼は私の存在を認めて礼儀正しく会釈してくれました。そして二人はまた向き直って会話を続けました。4階までのエレベーターがあんなに長く感じたことはありませんでした。


ウォルト・ディズニー

日付: 2015年8月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1934年7月17日、二世の両親のもとサンフランシスコに生まれる。5歳の時に見た『白雪姫』に衝撃を受け、その後生涯を通してアニメーションに夢中になる。第二次世界大戦中、家族と共にユタ州トパーズで強制収容される。その後カリフォルニアに戻り、アニメーターになることを目指してウォルト・ディズニーが好んだロサンゼルスのシュイナード芸術学校(現カリフォルニア芸術大学)に入学。伝説的アニメーター、イワオ・タカモトの指導の下、ウィリーの情熱は開花し、ディズニー、ワーナーブラザース、ハンナ・バーベラ・プロダクションで黄金期を過ごし、アニメーションの世界で長いキャリアを積む。クレジットされている仕事は、『わんわん物語』、『What's Opera Doc?』、『原始家族フリントスト-ン』、『クマゴロー』に及ぶ。

ウィリーは今でも絵を描き続け、日系アメリカ人の第二次世界大戦中の経験を描いた絵本のイラストも手掛けている。サンディエゴで開催されるコミコン・インタナーナショナルでは絵にサインをしたり、ファンと言葉を交わしたりするウィリーを見つけることができる。(2016年9月)

Jimmy Murakami
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ジミー・ムラカミ

初めての映画(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

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Jimmy Murakami
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ジミー・ムラカミ

アニメ作成を開始(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

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Jimmy Murakami
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ジミー・ムラカミ

最初の短編映画(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

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