(英語)父は釣りに熱心で、サンフランシスコの二世フィッシングクラブの設立メンバーの一人でした。週に二日は釣りに出かけていました。水曜日は店を閉めてマーセド湖やフィッシャーマンズ・ワーフなど、地元で釣りをしていました。週末はサクラメント近郊のピッツバーグまでストライプドバスを釣りに行きました。バス(スズキ)が釣れるのはその辺りでした。それが父の一番の趣味でした。
父は、手先がとても器用で、趣味に熱中するタイプでした。強制収容されている間に父が習得したことの一つに、(貝殻を使った)素敵なブローチや花のアレンジメント作りがありました。ユタ州のトパーズは干上がった湖だったので、掘れば白化した貝殻が見つかりました。マニキュアや絵の具を使って貝殻を組み合わせ、バラのつぼみを作ったり、小さくて可愛らしくて美しい小物を作ったりしました。クレープ紙を紡いでバスケットを編み、ニスを塗ると美しいブローチになりました。
父はこういうものをたくさん作り、私たちより先に収容所を出ました。父が最初に向かった先はシカゴのミシガン湖周辺でした。ミシガン湖の周りには大きくて豪華なホテルが立ち並び、父はそのエリアのギフトショップで小さなブローチを売りました。そこで少しお金を稼いでからサンフランシスコに戻り、理容学校に通い始めました。
日付: 2015年8月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター