(英語)その後、僕が日本に行って大体6か月が過ぎた頃、彼女は僕に、アメリカに帰って誰か素敵なアメリカ人の女の子とでも結婚しなさいよ、と言いました。僕は申し訳ない気持ちになりましたが、彼女は電車に乗って藤沢の家に帰ってしまいました。その後、彼女に会うことはありませんでした。僕はシカゴに戻り、手紙を書きました。僕は漢字も書けたし、漢字もローマ字も英語も使って、僕は、僕らは、連絡を取り合うことができました。でも、手紙は全てラジオ東京のシズコ・ナイトウに送っていました。彼女は僕の友人で、手紙を届けてくれました。僕はシズコ・ナイトウ宛てに手紙を書き、手紙は彼女に届きましたが、中身は僕の妻、当時はまだ妻ではありませんが、玻満子に宛てた内容でした。
2年間の手紙のやり取りがありましたが、僕らが連絡を取り合っていたことを、彼女のお父さんは全く知りませんでした。
日付: 2012年1月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ、西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター