(英語)僕は彼女に、また鎌倉で会えるかと尋ねました。大仏を見に行こうとか、確かそんなようなことを言ったと思います。その数日…いえ、1週間後でしたが、鎌倉でもう1度会うことになりました。しかし、遠路はるばる鎌倉まで行ったというのに、玻満子は来ませんでした。彼女は現れなかったのです。僕はすっぽかされ、日本人の女の子に待ちぼうけを喰わされたことに本当に腹を立てました。でも、それは本当に仕方がないことで、彼女は僕に手紙を書き、当時僕が居た住所に送ってくれていました。その建物は東京にありましたが、名前を思い出せればいいのですが、思い出せません。とにかく手紙は、軍に取り上げられていました。手紙には約束した週は行けない、というようなことが書いてありましたが、僕には知る由もありませんでした。軍人と、当時敵国人として考えられていた日本人が連絡を取り合うことを、軍は認めていませんでした。
それで、彼女がどうやって謝りに来たかは覚えていませんが、彼女は戻ってきた手紙を僕に見せてくれました。軍が彼女に送り返していたのです。手紙を見せられた僕はもう怒るわけにもいかず、その時から僕らは付き合い始めました。
日付: 2012年1月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ、西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター