戦時中のプロム (英語)

舌足らずの話し方を直してくれた先生 (英語) 子供たちと過ごす時間 (英語) 様々な人種・民族 (英語) 戦時中のプロム (英語) 知事選出馬を決意 (英語) 公平であること (英語) 退役軍人の影響 (英語) ハワイの国際的な役割 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 第二次大戦が始まった時、私は(4年制高校の)高校2年生でした。当時高校2年生だった私たちには、社会生活はほとんどありませんでした。 高校3年生になって、初めてプロム(卒業記念ダンスパーティー)に参加することになりました。高校のカフェテリアが会場でした。テーブルを全部脇に寄せて会場を作ったのですが、とても古いカフェテリアだったので、床も傷んでいて平らではありませんでした。床板がでこぼこしていたんです。でも私たちは、部屋の灯りを落として開場をできるだけ暗くしようとしました。これは私たちが3年生の時のことでした。

4年生になり、その年のプロムの時期もまだ夜間外出禁止令は出ていました。夕方6時以降の外出は禁止されていたのです。私たちはベレタニア通りのモルモン教の礼拝堂へ行き、どん帳を全部下ろして、ぼんやりした明かり以外は完全に暗くなるようにしました。そして4年生のプロムは、1時から3時半までの間で行われました。

当時の私たちの社会生活に関して言えば、このような感じでした。あまりやることがなかったんですね。それで、私は友人たちと大勢で集まる時は、友達の家をはしごして歩き、一緒に週末を過ごしていました。そんな風に高校の同級生とは仲良くなっていきました。

日付: 2003年12月15日
場所: 米国、ハワイ州
Interviewer: アート・ハンセン
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

dances social life world war II

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