ディスカバー・ニッケイ

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ラウラ・ホンダ=ハセガワ

(Laura Honda-Hasegawa)

@laurahh

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)


この執筆者によるストーリー

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オハヨウ・ボンディア
第16回 わたしはサンパっ子

2011年11月2日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

サンパウロ市の中心にあるフレイ・カネッカ通りのサンパウロ産院で生まれたわたし。 幼いころ、母に連れられよくイピランガの公園を散歩していた。ピンク色のドレスを着て、日本の日傘を差しているわたしを見て、ブラジル人は「歩く日本のお人形さんだ」と言っていたそうだ。 ジョアン・メンデス広場にあったカーザ・ナカヤに行くのが楽しみだった。当時、ボンデ・カマロンという「えび」に似た電車が走っていて, それに乗っていくのが面白かった。その上、カーザ・ナカヤは大きな日本品店で、貴族の館…

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第15回 「ものを書く」喜び

2011年10月26日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

わたしは、「ものを書く」ことに心から喜びを感じる。人生の長い道のりを楽しく歩んで来られたのも、物を書くことに生きがいを感じてこられたからだ。 幼いころ、よく戸棚の下の方に落書きしたものだ。誰にも見られないようにこっそり、裏側に書いていた。今でも覚えている。あのずらっと並んだ絵や文字のようなもの。子どものわたしには確かにすばらしいストーリだったのであろう。 アルファベットを教えてくれたのは父だった。小学校に上がる前は、自分の名前と幾つかの単語を書くのが日課だった。 …

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第14回 音いろいろ

2011年10月19日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

ポチは日本のいぬしっぽをふって  「ワンワン」ペリーはブラジルうまれワンワンはわからないぺりーは  「アウアウ」アウアウしかしゃべれない 日本のねこは 「ニャーニャー」にわとりは 「コケコッコー」ブラジルではちがうガットは 「ミャウミャウ」ガーロは 「ココリコー」おもしろいでしょう? 「きしゃきしゃ ぽっぽぽっぽしゅっぽしゅっぽ しゅっぽっぽ」日本のこどもはうたうブラジルではそうはいかない「ピュイーピュイー」じゃなかったらきしゃじゃない チクタクチクタクとけいははたら…

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第13回 あんた、ニセイ語わかる?

2011年10月12日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

学生のころ、おなじクラスに面白い子がいた。 彼女は日系人で、家ではほとんど日本語で話していた。 クラスの90%はブラジル人なのに、その子はどうどうと日本語の言葉を使っていた。 「あんた, estudou para a prova? 」(テストの勉強した?) 「Eu não entendi direitoあの lição」(あのレッスンはよく分からなかった) 最初は「変」に聞こえたが、クラスメートは自然にその子を受け入れ、お…

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第12回 日本語訛について

2011年10月5日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

学生の頃から「日系人はポルトガル語が下手だ」とよく聞いたものだ。 作文はもちろん、言うことも分かりにくい、言葉の発音が変で、とにかく日本語っぽいとか。 こういうことで、残念ながら退学する子もいた。 当時、店に入ると店員さんが日本人の話し方をマネシテ迎えることは少なくなかった。 大学でも、このような偏見をわたしは、ちょっとしたことからもすぐに感じ取った。ある日、ドイツ語を専攻していた日系の女の子が涙ぐんで言った。 「どんなに勉強してもダメだ。私の発音は日本語の訛…

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第11回 あなたの名前は?

2011年9月28日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

わたしの名前はラウラ。原語はラテン語、意味は「成功」。残念ながら日本語の名は持っていない。 しかし、大多数の同世代の人はブラジルの名前を持っていない。 日本語の名前だけの場合、学校でクラスメートにからかわれたり、教師まで、言わなくてもいいことを言ってしまい、苦しい目にあっていた日系人は少なくなかった。 また、ポルトガル語での話し方が「おかしい」とか「下手だ」と言われ、登校しなくなった学生もいた。「いじめ」の一種である。 それは別の機会に話すことにして、名前の話に戻ろう。 シ…

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第10回 映画少女の夢

2011年9月21日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

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第9回 世の中はずいぶん変わったもんだ

2011年9月14日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

母の好物はフェイジョアダで、父のはバカリョアダだった。三世のわたしは子どもの頃から「納豆」だった。 このことを言うのは今回が初めてだ。黙っているしかなかったことが、やっと言えるようになった。 何故なら、最近、日本食文化がブラジル人に認知されてきているからだ。 わたしが小・中学生の頃(60年代)、日系人の生徒は「ジャポネスは生魚とか青臭い生野菜食べるんだって?」とひやかされたものだ。 初めて勤めた学校でのエピソードを思い出す。一人の理科の女性の教師がわたしに直接言…

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第8回 まんじゅうの味

2011年9月7日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

丸くて、中にはあま~いあずきのあん。これが和菓子のまんじゅう。ブラジル人も知っているドセ・デ・フェジョン。 これは母から聞いた話。八十数年前のこと。住んでいたのはシーティオ。 ある日、町からお客さんが訪れた。同じ日系人の方。おみやげは珍しいまんじゅだった。 子どもたちは、ほうきを戸の後ろにさかさまに。お客さんが早く帰るおまじない。 さあ、お客さんは帰った!子どもたちはみんなおまんじゅうに一直線! 一個のまんじゅうは四つに分けられた。母は十人兄弟。子どもたちは丸…

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第7回 本当はドラマドラマ好きな男たち

2011年8月31日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

「男は泣くもんじゃない」と、ブラジルの男の子は育てられる。大人になると、「家事は女のすることだ」、「テレビドラマなんか女の見るものだ」と男らしさであることになお一層プレッシャーが掛けられ、家事やテレビドラマから遠ざけられる。 しかし、つい最近、あるドラマのおかげでその昔のイメージは変わってきた。 ドラマの名は「冬のソナタ」。これがキッカケで、色々なことが日系人社会の中で起こっている。日本ではブームだったが、ブラジルの日系人の間ではブーム以上の「革命」のようなものがおこってい…

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