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オハヨウ・ボンディア


2011年7月20日 - 2011年12月7日

祖父は日本から約100年前に来伯。私はブラジル生まれ。だから、私はブラジルと日本との「架け橋」になりたい。私の心に深く刻まれた「にっぽん」は宝物。ふるさとのブラジルで守りたい。そんな思いを込めて書いたのが、このシリーズです。(Bom Diaはポルトガル語でおはよう)


このシリーズのストーリー

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最終回 (後編) 「オハヨウ・ボンディア」放送中

2011年12月7日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

前編>>日本の料理も人気だった。平日の朝の番組なので主婦のリスナーが多かったが、男性も興味あるということが分かった。 ブラジル人は大豆を使う料理に関心をもっているので、おからのケーキを紹介した。ほかに材料はブラジル人がよく使っているバナナとフバ(トウモロコシの粉)。レシピの紹介が終わると、すぐに電話が掛かってきた。「すみません、材料をもう一度教えてください。妻は留守です。帰ってきたらこのケーキを食べさせたいんです」と。「わぁ、なんて優しいだんな様」と、わたしは微笑んだ。 チ…

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最終回(前編) 「オハヨウ・ボンディア」放送中

2011年11月30日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

「オハヨウ・ボンディア!みなさん、すばらしい朝ですね。ラウラ・ホンダです。今日も元気いっぱい、この番組をお届けします。どうぞ、楽しいひとときをお過ごしください」 このようにして、7年間、わたしの一日はスタートしていた。雨の日も晴れの日も、ラジオ局に通い、本当に楽しい時間を過ごした。 ラジオのパーソナリティーを務めるのは長年の夢だった。 時は遡り50年代、大人が子どもだった私たちによく聞いていたことがある。それは「大きくなったら何になりたい?」 女の子は全員一致で…

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第19回 ニッケイであること

2011年11月23日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

ある日、アナ・ローザ地下鉄駅を出るとき、うしろで学生たちが話しているのを耳にした。「彼女には敵わない。『東洋の神経細胞』の持ち主だから」。 『東洋の神経細胞』って何のこと?初めて聞いた言葉だった。近くに高等学校や予備校があるので、もしかしたら彼らはテストに落ちて、『彼女』は東洋人だから合格したということかも知れないと思った。 昔から日系人の学生は勤勉で、優等生であると評判になっている。最近になって韓国系と中国系の学生もこのグループに含まれるようになった。だから、『東洋の…

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第18回(後編) 古きにっぽん、ここにあり!

2011年11月17日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

前編>>昔話は続くが、1959年に、わたしは初めて母の実家を訪ねた。パラナ州、ロンドリナの町外れの農園だった。そこで、いろいろな初体験をした。 まず、家に入るには靴を脱ぐこと。我が家でもそうだったが、玄関に下駄箱があった(下駄なんて履いたことがなかったが)。でも、おばあちゃんの家では入口の床に靴をただ置くのだった。たくさんの靴やサンダルが散らかっているのを見て、わたしは最初驚いた。いとこの一人が「ゾウリ」を貸してくれた(スリッパではなかった)。 外に出て戻ると、わたしの履い…

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第18回(前編) 古きにっぽん、ここにあり!

2011年11月16日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

40年前、わたしは留学生として日本に滞在した。 その当時のわたしの日本語はわずかな単語に限られていたが、何故か、なんの不安もなかった。それは若かったからだと思う。 まず、下宿に入り、管理人のおばさんに「前掛け、貸してください」と言ったら、首を傾げて「エプロンだったら、これよ」と貸してくれた。 大分経って、東京にいる母のいとこを訪ねた。わたしは新潟にいたので、そこに泊めてもらうことになった。いとこは「疲れたでしょうから、ベッドに休んだら。パジャマもあるよ」と親切に。(え…

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第17回 「秋」 だからこの道

2011年11月9日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

日本での留学が終わる頃に書いた『秋』。35年後、それを日本語に訳し、パートIIを加えました。そして、つい最近、教会の礼拝中に、聖書の御言葉にインスピレーションがひらめき、パートIIIができました。 * * * 枯れ葉つもるこの道光る池 飛び跳ねるコイ遠くに 甘い笛の音古い松の下で愛のうたをつづる いつの日か池は にごり松は たおれ笛の音は やみうたは風と共に去り行く 長い道のりを私は歩み行く真実を求めて限りなく世界を越え孤独な長い道のりを    (1972年 新潟に…

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このシリーズの執筆者

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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