深沢 正雪

(ふかさわ・まさゆき)

1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。2022年からブラジル日報編集長。

(2022年1月 更新)

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軍政開始50年と日系活動家=独裁政権と闘った若者たち -その3/3

その2を読む >> 437人が拷問死、行方不明=大事な役割担った日系活動家 「軍事クーデター50年・独裁政治の撲滅を」式典の直前には、拷問の死者や行方不明者を役者が演じ、まるで死後の世界からメッセージを送っているかのような映像が20人分ほど流され、来場者は食い入るように見入った。その最後の方には日系活動家4人分も映し出された。 その一人、フランシスコ・セイコ・オクマさん(ALN)は警官隊との打ち合いで73年3月15日に聖市で死亡した。彼の検死報告書にはテロリストを意味する “T” の字が書かれていた。 その役を演じた亀田エジソンさん(56、バストス出身二世)は、「オクマは11歳年上。彼が死んだ時、僕はまだ15歳だった。彼らがやらなかったら僕らがやっていた。軍政に立ち向かった彼らの勇気を誇りに感じる」と語った。「バストスも戦争中、バルガス政権により厳しい目に遭った。僕らはブラジル人として政府にただ従うのでなく、悪いものは悪いと言わなくちゃいけない」と断言した。 平田進下議の親族で、当時の聖市金属労組の5大指導者の一人で、3週間にわたる拷問の末に殺された「平田ルイス」役をした三浦マルコスさん(40、モジ出身三世)も「この件は日系家族の中ではタブーにされてきた。歴史を掘り起こし、民主化に貢献した若者として表立って語るべきだ」との想いをぶちまけた。 …

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軍政開始50年と日系活動家=独裁政権と闘った若者たち -その2/3

その1を読む >>軍事革命かクーデターか=反ジャンゴ多かった日系農家 三宅ダルシさんが捕まった翌月、1972年2月19日に長野県軽井沢町で連合赤軍が浅間山荘事件を起こし、人質をとって立てこもった。熱い政治の季節だった。 独自の視点から『百年の水流』(2012年、改訂版)を書いた外山脩さん(72、静岡県)は2面に先週掲載された連載「軍政開始から50年」を読んで、「ワシらは当時何も知らなかったと思った」と語った。 ちょうど60年安保運動の頃、1960年代前半に同志社大学法学部政治学科で学生生活を送った外山さんは、まさに京都の学生運動の本場に身を置いていた。「授業の前に左派学生が来て必ずアジ演説をしていった時代だった。右が多かった体育会系の学生が、左派の集会に殴り込む事件を起こした。だからブラジルに来た時も『こっちの全学連も同じようなことをしているな』と感じていた」という。 66年に渡伯し、サンパウロ新聞で記者をした1年目、学生運動を身近に感じていた外山さんは、軍政を皮肉るようなことを記事に書いた。「翌日、水本社長が血相を変えて怒鳴り込んできてね、驚いた。『お前は新聞社を潰すつもりか』って言うんだ。邦字紙もあの当時監視されていた。日系左翼の連中が殺されていたとか、当時は記者であるワシらも知らなかったし、まして報道はされていなかった」と振りかえった。いわばコロニアは蚊帳の外に置…

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軍政開始50年と日系活動家=独裁政権と闘った若者たち -その1/3

マリゲラと共にゲリラ活動=拷問で苦しんだ三宅ダルシ 「軍事クーデター50年・独裁政治の撲滅を」式典が3月31日、聖市南部にある市警36分署の裏、かつて左翼活動家の逮捕や拷問による情報収集と分析を目的とした軍施設のまん前で実施された。千数百人の参加者は、今も行方不明の活動家や拷問死した若者の顔写真を手に、軍政時代の人権侵害の歴史的事実の掘り起こしや、それを特赦したアネスチア法の見直しなどを訴えた。日系犠牲者の顔写真もみられる生々しい歴史の傷跡を取材した。 「私の活動は家族には理解されなかった」―― “都市ゲリラ戦の教祖” カルロス・マリゲラ率いる武装組織ALN(全国解放行動)でゲリラ活動に参加していた三宅ダルシさん(68、二世)は、そう悔しそうに語った。 当時USP法学部のエリート学生だった三宅さんは、72年1月25日にグアナバラ(リオ)で陸軍DOI―Codi(以下DCと略)に捕まり、28日に聖市のOBAN本部に連れてこられた。まだ27歳だった。 三宅さんは「私は逮捕状もないまま、DCに7カ月間も “誘拐監禁” されていた」とすぐ横の建物を指さした。「彼らは私から情報を聞き出そうと1カ月間、毎日拷問したのよ。その後は週2回ぐらい。…言葉にならない酷い体験だった」と振り返る。 13年12月12日付けブラジル…

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アマゾン=河民の生活向上に尽くす ~格差社会に挑む日本人~

第6回・終 森林農業で経済安定へ

>> 第5回住民を〃環境の番人〃にHANDSは今年七月、パラー州のトメ・アスー移住地からアグロ・フロレストリー(森林農業)の日本人専門家を当地に呼び、コミュニティを巡回するセミナーを実施した。地球環境基金(環境再生保全機構)からの助成を受けた。 一見、保健衛生とは関係ないように思えるが、「住民がコミュニティを離れてしまうと自然破壊が進むんです」と定森さんは真剣な表情で訴える。広大 な市ゆえに南部の方ではすでに不法な熱帯雨林の伐採が始まっており、コミュニティが消滅した場所から不法伐採が始まる傾向がある。 コミュニティが解体しないためには、経済的に安定することが重要だとHANDSは考えた。バナナ、マンジョッカだけに依存せず、多様性のある作物を自然の中で栽培する工夫の一貫としてこの取り組みが始まった。 「住民には〃森の番人〃として無謀な開発に目を光らせて欲しい」。定森さんは保健衛生知識の普及ではなく、環境保全にも目を配る必要があると強調する。 来年のプロジェクト終了を見越して、活動を引き継ぐ位置付けの団体IDEAS(アマゾン持続的開発協会)を立ち上げた。環境に力を入れた活動になることを見越した命名だ。 ◎   ◎ 実は人間的出産セミナーの直前、生まれたばかりだった定森さんの二人目の赤ん坊の容体が悪化し、定森さんは飛行機をチャーターして州都マナウスの病院に緊急移送していた。手…

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アマゾン=河民の生活向上に尽くす ~格差社会に挑む日本人~

第5回 人間的出産セミナー

>> 第4回日本式助産の知恵を普及「エ・プレシーゾ・サビ・ビビェール!」(生き方を知る必要がある)。全員が立ちあがり、手を叩きながら人間的出産のテーマ曲を合唱する。まるで 自己啓発セミナーか教会のミサのような賑やかさと活気にあふれている。アマゾナス州保健局とJICAの共催だが、堅苦しいセミナーとはほど遠い。 日本式の助産婦の保健知識、妊婦への心理的な支援方法を教える「第二回人間的出産セミナー」が、十月三十~三十一日にマニコレ市立展示場での行われた時の様子だ。 二十八時間離れた遠隔地コミュニティの地域保健員まで参加し、二百人以上が出産についての見識を深めた。 従来は、民間伝承の助産婦しかいなかった。船で七時間かかるフェラ・プレッタで助産婦をするネイラ・クルス・オリベイラさん(34)は二十歳の時から助産婦をし、すでに三十二人を取り上げたが、保健知識はなかった。「先輩を手伝っているうちにやり方を覚えた」という。 妊娠は病気でない。自然出産する妊婦を助けるのが助産婦の役割だ。伯国の都市部ではすぐに帝王切開する医師が多い。 このセミナーは、昨年本邦研修に行き、三カ月間、日本で助産婦のやり方を学んできた現役助産婦の伯人女性三人が企画した。JICAはフォローアップ事業として、研修内容を広めるOBの企画を後押しする。 マナウスの医療機関で働くマリア・グラシマ・フェクリ・ダ・ガマさ…

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