ディスカバー・ニッケイ

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深沢 正雪

(ふかさわ・まさゆき)

@masayukifukasawa

1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。2022年からブラジル日報編集長。

(2022年1月 更新)


この執筆者によるストーリー

16世紀に南米へ来た日本人奴隷とユダヤ教徒 - その1

2021年2月3日 • 深沢 正雪

BBCブラジルにセンセーショナルな記事が踊った。 いわく《400年前にポルトガル人によって世界に売られた日本人奴隷の歴史》(9月12日付、アナ・パウラ・ラモス記者)というポルトガル語の記事だ。東京外国語大学のルシオ・デ・ソウザ特任准教授と東京大学史料編纂所の岡美穂子准教授に取材したもの。 冒頭には《1585年、誘拐された8歳の日本人少年は、ポルトガル人商人ルイ・ペレスに奴隷として売られた。豊後国(現在の大分県大分市周辺)で生まれたこの少年は、ペレスが最初に手に入れた…

ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡
第6回 移民の子が国家的な貢献

2020年7月27日 • 深沢 正雪

第5回を読む >> 岡本の快挙を祝って地元マリリアでは1952年9月28日に「河童祭り」と称する祝勝会が開かれ、牛3頭を焼いて1千人を招く盛大なシュラスコ会が開催された。それを報じた『パウリスタ新聞』1952年10月2日付によれば、父専太郎が「泳ぎ始めはわしの観海流(日本古来の遠泳法の一つ)を仕込んだもので…」などと始終、上機嫌だったという。 映画『競泳選手』には、1960年のローマ五輪の100メートル自由形で銅を取ったマヌエル・ドス・サントスの貴重な証言…

ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡
第5回 トビウオが変えた岡本の運命

2020年7月20日 • 深沢 正雪

第4回を読む >> 岡本の業績と人柄をまとめたドキュメンタリー映画『O nadador – A história de Tetsuo Okamoto』(以下『競泳選手』と略、2014年、26分、ポ語、ロドリゴ・グロッタ監督)で、姉の鈴枝さんは弟の性格を《とにかく控えめで、あまり社交的ではなかった。勉強よりも、ひたすらスポーツに打ち込んでいた》という。コロニアであまり知られていなかったのは、そんな性格も影響したのかも。 マリリアでの幼友達トニーニ…

ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡
第4回 反ヴァルガス主義的なスポーツ振興策

2020年7月13日 • 深沢 正雪

第3回を読む >> 戦前からの意外な繋がり 調べてみると、確かにパジーリャは戦前からスポーツ局の仕事をしていた。ヴァルガス独裁政権からサンパウロ州執政官(1938~41年)に任命されたアデマール・バーロスからの信任が厚く、パジーリャはサンパウロ市アグア・ブランカ区のベイビ・バリオニ体育複合施設、イビラプエラ体育複合施設コンスタンチノ・ヴァス・ギマランエスなどの建設を開始していた。 前者は今も全伯相撲大会の会場として使われ、後者には「南米の講道館」と言われる大柔道場があ…

ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡
第3回 影の功労者、パジーリャ局長

2020年7月6日 • 深沢 正雪

第2回を読む >> パカエンブーのプールに日章旗掲揚を許可したサンパウロ州体育局長は、戦争中に日本人プールの使用を特別に許可した時と同じ「パジーリャ氏」だった。 『パウリスタ新聞』1950年3月28日付には、パジーリャ局長のコメントが掲載され、《この大会に外国選手が参加するということはかつてなかった。この例を破ったこと、そのものに我々は非常な悦びを感じている。我々が持つ日本及び日本人への深い友情の表れがこうした例外を作られたと言っても良く、スポーツを通じての友情を永久に…

ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡
第2回 日本移民受難の時代に曙光

2020年6月29日 • 深沢 正雪

第1回を読む >> 1942年1月、リオで行われた米国主導の汎米外相会議で、アルゼンチンをのぞく南米10カ国が対枢軸国経済断交を決議、ブラジル政府も同29日に枢軸国と国交断絶を宣言した。 サンパウロ州保安局は「敵性国民」に対する取締令として、「自国語で書かれたものの頒布禁止」「公衆の場での自国語の使用禁止」「保安局発給の通行許可証なしの移動禁止」「保安局に予告なしの転居禁止」などの制限を日本移民に課した。 そんな時代ゆえ、「日本人プール」は竣工こそしたものの書類に不備…

ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡
第1回 ヘルシンキ五輪・競泳で初メダル

2020年6月22日 • 深沢 正雪

二世・岡本哲夫(1932年生まれ~2007年没)は、ブラジル水泳界および日系社会共に初の五輪メダルをもたらした。彼が表彰台の3位に登ったのは、1952年8月3日。ヘルシンキ五輪(フィンランド)の1500メートル自由形競泳だ。しかも、その時の表彰台には日本人の血を引く三人が占めた。当時、邦字紙では五輪における日本勢の健闘が記事の中心だった。ところが、勝ち負け抗争の余韻が強く残っていて日本移民への悪印象が強かったにも関わらず、ブラジルの新聞は「ジャポネース」の健闘を大々的に報じ…

外国人になった日本人の気持ち、終わりのない長い旅 - その2

2020年5月20日 • 深沢 正雪

その1を読む >> 国籍さえあれば、日本人として信用できるのか 《記者コラム・在日ブラジル人にも10万円支給を》のコメント欄を読んでいて気になったのは、在日外国人に対して、永住組と短期滞在者を一緒くたにしている人が多く、また、国籍に対する純粋な思い込みが強いことだ。 たとえば、次のような書きこみだ。 《ていうか外国人ってことは国籍が外国にあり、その外国に国民を守る義務が発生するんだろうから、そういう人は本国にお帰り願えばいいだけじゃないの?納税してる/してないは…

外国人になった日本人の気持ち、終わりのない長い旅 - その1

2020年5月19日 • 深沢 正雪

成田国際空港の「おかえりなさい」見てホッとする心情 海外在住日本人、移住者にとっての日常生活は、終わりのない長い旅のようだ。普通の人はふるさとに戻ることで、旅が終わる。それは祖国のどこかだ。 ブラジルで生活を始めて25年以上経ったが、いまだにどこかを旅している感覚が抜けない。 外国で生活せざるをおえなくなった人、それを選んでしまった人にとって、祖国に帰るのは一時帰国の時だけ。 では、どうやって「長い旅」を終わらせるか。どこかの時点で腹を決めて「ここが第2のふるさとだ」…

青年海外協力隊員から陶彫作家、モジお茶屋敷へ — その2

2020年3月19日 • 深沢 正雪

その1を読む >> 海外協力隊の後、中南米を放浪してブラジルへ 中谷さんは1943年5月23日に大阪府大阪市で、5人男兄弟の4番目として生まれた。京都学芸大学(現教育大学)美術科を卒業し、商業施設の展示施工をする日展で働くも、自分のデザインがクライアントの注文によって変更させられる現実に嫌気がさし、1年で退職。 たまたま京都近代美術館でやっていた近代陶芸展を見て、これだと直感し、京都の鋳込み工場で働きながら陶芸工房を見学して回り、陶芸家の叶光夫に心酔して2年間師事する…

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