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最後の移民船から半世紀=「国境を越えると人間が変わる」— その1

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家族含めて50人余りの参加者で記念写真

クルーズ客船を移民船代わりに南米へ

最後の移民船から半世紀の節目――「船に乗ったものだけが味わうことができる赤道祭、そしてサントス入港。人生の転機でした。この最後の移民船による半世紀の式典は、必ず来ると待っていました」。小池和夫さんは万感の思いを込めて、にっぽん丸同船者会50周年式典の開会の言葉をそう述べた。

移民にとってのサントス入港は、観光客のようなただの上陸ではない。戦前から「サントスでよーいドン!」と言われてきたように、日本の家系や学歴、経歴の一切をいったん捨て、ゼロから「よーいドン!」とやり直すスタートラインでもあると認識されてきた。

1973年2月14日に日本を出港し、3月27日にサントス港に到着した「最後の移民船」と呼ばれる客船「にっぽん丸」。笠戸丸から65年間で約25万人が船で集団移住したが、その時代はこの船をもって終わりを告げた。

その50周年を祝う式典が4月2日、サンパウロ市リベルダーデ区のブラジル日系熟年クラブ連合会サロンで開催され、家族を入れて50人あまりが和やかに一日を過ごした。

50周年を記念したケーキに入刀

10年ほど前までは毎月のように「同船者会」が開催されていた。移民社会ならではのこの行事だが、最近めっきり聞かなくなった。同じ植民地や移住地から出聖した人たちによる「同郷会」しかり。一世の高齢化と減少がコロニアの在り方を根底から変えている。

1973年といえば、日本経済の高度経済成長期の仕上げの時期だ。1960年、池田勇人内閣は10年間で国民総生産(GNP)を2倍以上に引き上げ、西欧諸国並みの生活水準と完全雇用の実現を目標とする「所得倍増計画」を発表した。

1963年には名神高速道路、1964年には東海道新幹線が開業し、大都市間の高速交通網が整備された。この63年までの10年間が戦後移民のピークであり、その後は急激に減少した。

無理もない。日本は64年には東京五輪、70年には大阪万博を成功させた。その間の68年にはGNPが西ドイツを抜き、米国に次ぐ世界第2位の経済大国となった。

敗戦から20年余りで驚異的な経済成長を遂げた日本は、世界から憧憬や敬意をもって「東洋の奇跡」と呼ばれ、日本を手本とする国が現れ始めた時期だった。

ブラジルもそんな国の一つだったが、あえてそこへ日本から73年に移住した者が285人もいた。通常「移民船」といえば貨客船だが、にっぽん丸(初代)は富裕層を乗せて世界一周する「クルーズ客船」だった。

だが定員431人中、移住者が過半数の285人を占めた。だから〝最後の移民船〟と言っても良いのではないか。これ以降は「飛行機移民」の時代に変わった。

同船者会で何人かに「どうして高度経済長期の日本から、わざわざブラジルへ移住しようと思ったんですか?」と少々意地の悪い質問をしてみた。帰ってきた答えは「さあ、なんでだろうね~。ダメだと思った人は早々に日本に帰っているよね。今ここに残っている人は、なんとか生計をたてられた人。それか帰れない理由がある人、帰りたくない人じゃないかな」というサバサバした声だった。

同会の浦野敏さん(75歳、東京都出身)も「僕らも最初の10年は生きるのに精いっぱいでこんな会に出られなかった。僕ら世代は工業移住者が多いから、大成功はしなくてもそれなりのレベルで生活している人は多い。だからこうやって集まりやすいのかも」と見ている。

農業移民の場合、奥地で生きるか死ぬかの極限生活に直面した人が多く、工業移住者は手に職があって最初から都市生活した者が多いため、違いがあるのではという意見だ。

誰に聞いても「同船者の半分以上は日本に帰った」「僕らの後の飛行機移民は、半分どころか大半が帰った」という。あと10年待てば日本は戦後絶頂のバブル景気、そして日本への逆流現象であるデカセギ開始となる。そういう時代だ。


「ロスで船に乗り遅れそうになっちゃって」

破天荒な生駒憲二郎さん

「あの時はロスで船に乗り遅れそうになっちゃって、皆さんに大変ご迷惑を掛けました」と破天荒なエピソードを披露して破顔一笑するのは、今では陶芸家として高名な生駒憲二郎さん(74歳、三重県出身)だ。若い頃には〝やんちゃ〟な時代があったようだ。

にっぽん丸がロサンゼルスの港に一晩停泊した際、10歳ほど年上の同行者から「上陸して遊びに行こう!」と誘われ、若気の至りで夢中になりつい時間オーバーしてしまったとか。

生駒さんが「右も左も、英語も分からない中、船に乗り遅れてしまうと四苦八苦していた。でも、幸いなことにその店のおかみさんが気を利かせてタクシーを呼んでくれ、ギリギリ間に合った」と言うと、すかさず横の同船者から「本当はあの時、間に合ってなかったんだよ。出航時間が過ぎたのに二人のために船が待っていてくれたんだ」と横やりが。

すると生駒さんは「まったく申し訳ない。乗船してから皆に謝って、それから謹慎していました」と笑い飛ばす。今からすれば、若き日の良い思い出だ。

そんな元気一辺倒に見える生駒さんからは、意味深な「国境を越えると人間が変わる」という言葉も。同航者の梅田正之さんが言ったらしく、生駒さんは身をもってそれを実感しているとか。

「ボクは日本で会社員をしている時、何やってもパッとしない、周りに負けるような人間だった。でもブラジルでいろいろ経験する中で変わった。もちろん、日本人という本質は変わっていないが。移住は一人モンで来た方が良いね」とのアドバイスも。

「どんな経験を?」と尋ねると、まずブラジル到着直後、〝洗礼〟を受けた。移住センターで研修中に近くのスーパーへ買い物に行ったら「いきなり脇腹らにピストルを突き付けられた。腕を上げて日本語で『参った、参った』と降参したつもりで言ったら、逆に賊に驚かれ、そばにあったレジのお金だけ奪って逃げた」との経験をした。

すぐに移住センターに帰って、その話をしたら「『参った、参った』が『Mata Mata(殺せ、殺せ)』に聞こえたんじゃないか」と言われ肝を冷やしたという。「ボクはよく襲われる。かれこれ10回ぐらいやられたかな」と驚くような経験談を話した。

このほか馬場勉(74歳、山口県出身)さんからは「船の中で誕生日を2回迎えた」という驚きの逸話も。「ちょうどボクの誕生日の2月20日に日付変更線を越えた。だから変更前と、変更後の2日続けて誕生日に。日本ではよくなかった運がこれで回ってきたと思った。ブラジルに来て子孫も残せた。成功だと思っている」と力強く頷いた。

多田邦治さん(78歳、徳島県出身)は「たまたま出港した2月14日はドルが、完全な変動相場制に移行した日だった。だから出港時に1ドル=274円だったが、次の日にはぐっと円高になった。そのおかげで円をまとめて持ってきたひとは儲けたのでは? なんで274円って憶えているかって、『フナヨイ(274)』ですよ」と笑いを誘った。

40年ぶりに同船者会に参加したという樋口道夫さんは「みんな顔が変わっちゃっていて分からなかった。でも同船者だから懐かしいね」と破顔一笑した。日本で11カ月働いて1カ月ブラジルで休暇という生活を30年間続けて定年になり、昨年10月からようやくブラジルに腰を落ち着き始めたという少し変則的な移住者だ。「日本にいるよりこっちの方が変化があって面白いね」

左から山内隆弘領事部長、挨拶をする辻哲三さん、和田和夫さん

 

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*本稿は、『ブラジル日報』(2023年4月18日)より転載。

 

© 2023 Masayuki Fukasawa

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執筆者について

1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。2022年からブラジル日報編集長。

(2022年1月 更新)

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