ディスカバー・ニッケイ

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在日日系人と日本社会

難しい問題だなと思います。あの、入ってきて、日本に来て、働いて、その人たちが本当に満足してるんならいいし、それからそういう人たちを本当にもっと受け入れるだけのその社会状況を、政府が作り上げていかなきゃなんないということをよく認識しているならいいんですけれども。あの、今の状況を見てると、なんかちょっとちぐはぐな気がしないでもないですね。労働力が必要だからってそれを歓迎する人たちと、それからやっぱり、そのいろんな問題が起きるわけですよね。日系人がたくさん住んでいるところの市長さんなんか、とても苦労しているようなことをいろんなところで発言したり、これだけ努力したけれどもなかなかうまくゆかないとかね。それからやっぱり、その住んでいる人たちが色々とその文化的な変化があったことに対して抵抗があるとかね。

そういう、その本当にそれこそこう進度が一致していないのを見るとね、アメリカっていうのは本当に長い時間かけてその辺を一生懸命調整しながら来たわけですよね。その中に巻き込まれた人たち、大変な思いをしながらね。だからそれを思えば、日本の場合はもっと時間をかけて解決していかないと。急いで解決しようと思うとね、もっと大変なことになるんじゃないかっていうのが、素人の観測ですね。あまり調べてはいないんですけど。


文化 ハワイ アイデンティティ 日本 日系アメリカ人 韓国系日本人 日系 アメリカ合衆国 在日

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

津田塾大学でアメリカ研究を専攻。卒業後、フルブライト奨学生としてシラキュース大学大学院歴史学科に留学し、アメリカ史を専攻する。アメリカの人種、文化の多様性を目にした彼女は、とくにアメリカ史の重要な部分である移民史に関心を持ち、日本からアメリカへわたった移民についての研究を始める。当時は、アメリカにおいても、それまでの政治を中心とした歴史から「社会史」に注目が移りつつあった時代で、指導教官も彼女の研究を応援してくださった。

帰国後、母校で教鞭をとり、アメリカ史、移民史の授業を担当しつつ、自分のテーマである日系アメリカ人についての研究を進める。1980年代、1990年代にはカリフォルニア州で一世、二世の聞き取り調査に精を出したが、その後、カナダの日系人についての研究にも進展し、両国の日系人の歴史、社会での受け入れられ方などを比較してきた。

最近は日系人と日本との関係について、「ララ物資」(「LARA―公認アジア救済機関」)などを例ににして考察している。 最近の主な編著書としては 『もう一つの日米関係史—紛争と協調のなかの日系アメリカ人』 (有斐閣、2000年)、『引き裂かれた忠誠心』(ミネルヴァ書房、1994年)(共著)などがあげられ、 1997年に出版した『日系カナダ人の歴史』 (東京大学出版会) はカナダ首相出版賞を受賞。現在は研究者としてだけでなく、津田塾大学の学長としても活躍中。 (2006年10月6日)

キシ・バシ

両親は新一世(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

沖縄文化の理解(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ハワード・カキタ

アメリカで両親と再会する(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

ハワード・カキタ

核兵器についての考え(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。